なんとなく、空気というか、
風のにおいが「秋のにおい」を
感じるようになってきた気がする。
あれほど、うるさかったセミの声も
どんどんと聞こえなくなり、
秋の虫の声が聞こえ始めた。
道端には、夏の虫たちが
よく仰向けになって落ちている。
とかく、弊社の事務所前、それも
玄関前によく落ちているのが
不思議でならない。
「弊社玄関前は虫の墓場なのか?」
そんなことを懸念したりもする。
夏の虫の代表と言えばセミであり、
当然のごとく、弊社玄関前には
仰向けになったセミが落ちている。
セミの命は一週間と言われるほど
短い。だが、幼虫として7年ほど
地中で過ごすことを考えると、
トータルの寿命としては昆虫の
中では長生きの部類に入る。
虫たちが、どのような考え、
生き方を幸せと思うのかは
計り知れないが、人間としての
感覚を当てはめるのであれば、
7年間地中で耐え忍び、
大空のもと、たった一週間という
短命だったとはいえ、精一杯
謳歌したのだろう。そう考えると
感慨深いものがある。そんな一生を
謳歌したセミを拾い上げ、
供養してあげよう。
そう思い、拾い上げようとした途端
「ジジジジジ!」と、
こちらに向かって突進をしてくる。
突然のことに思わず
「んがぁ!」とのけぞる。
このように、セミが
死んでいると思っていたら
急に飛び上がり突進してきて
びっくりしたという経験は
私だけではないはずだ。
このような現象を「セミファイナル」
別名「セミ爆弾」というのだそうだ。
この言葉は10年以上前から
使われているネットスラングのようだ。
セミが最期を迎える直前のあがきを、
英語でファイナルの直前を表す
「セミファイナル」にかけた。など
その成り立ちには諸説あるようだが、
語感の良さからテレビ番組やSNSなどで
その言い方が紹介されたことで、
瞬く間に広まった。とのことだ。
流行に疎いおぢさんには、
初めて聞いた言葉ではあったが、
この「セミファイナル」と
初めて名付けた方のセンスに
感動を覚える。
話が少し、それてしまったが
それくらい、この「セミファイナル」
という現象は「あるある」というか、
ポピュラーなものなのだろう。
地面に転がって動かずにいたセミが
突然飛び上がるのは、
死期が迫って体力が失われ、
弱って動けなくなっていたところに
人が近付いたことで防衛本能が働き、
物理的な反応として“逃げよう”とする
行動によるものなのだそうだ。
まさに、「最後の力を振り絞って」の
抵抗という訳だ。
では、この「セミファイナル」に
会わないようにするには、
どうしたらよいのか。
それは、
脚が開いていれば「生」。
脚が閉じていれば「死」。
なのだそうだ。
理由は、セミが死を迎えて
血液の流れが止まると、
体内から水分が失われて
干からび、筋肉が収縮して
脚が縮こまった状態に
なるからなのだそうだ。
しかしながら、
50歳手前のおぢさん。
「遠視の近視」という、もはや
遠くも近くも見えないという
個性を持ち合わせているため、
玄関先に落ちているセミの足が
閉じているのか開いているのか
確認をするには、落ちている
セミに対してかなりの接近を
しなければ確認ができない。
距離として50mmと
いったところだろうか。
そうなると急接近したおぢさんに
対して、「ジジジジジ! 」と
セミファイナルを仕掛けられ、
またもや「んがぁ!」と
のけぞることになる。
結局は何も変わらないのだ。
そんなに嫌なら関わらなければ良い。
これは全ての物事においての
原理原則ではあるのだが、
しかしながら、それなりの大きさ
である昆虫の亡骸がゴロゴロと
玄関先に転がっている「昆虫墓場」
の家、または企業というのは
いかがなものだろうか。
玄関先というのは、その家、
企業の顔ともいえる場所である。
そんな主たる場所が「昆虫墓場」
では、いささかよろしくはない。
かといって、限られた寿命を
精一杯謳歌した昆虫に対し、
足で蹴とばすような行為も
他を慮る日本のこころを
持ち合わせたおぢさんには
忍び難い。
虫たちに哀悼の意を表し、
しっかりと供養するという、
今までの行為。こちらは問題ない。
問題なのは、セミファイナルに対し、
「んがぁ!」と、ビビりなおぢさんが
ビビりたおすということが問題なのだ。
人生において。想定外の出来事。
こういうことは必ずある。
その時に対処するのは、他の誰でもなく
自分自身に他ならない。
だからこそ、特に「ここぞ」という
瞬間には、絶対に気を抜いてはならない。
あらゆる事が起こることを想定し、
そして、行動をしなければならない。
自分がアンテナを高く、深く意識を
していれば、そのような想定外の出来事
は回避できるはずである。
そんな「想定外への心構え」は
いかなる時も大切である。
歳をとったせいか、
先入観が強くなっている。
そんな慢心したおぢさん、
いや、人類に対してセミは
自身の最後の瞬間に「ジジジジジ!」と
セミファイナルを仕掛けることで、
身をもって教えてくれているのかも
しれない。
(2023.08.31:コラム/上野龍一)
【 上野龍一 】
~プロフィール~
1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表
経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。
また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。
「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。