第7話:おぢさんになると短所が個性になって、短所が長所に変わってくるらしい

「あなたは今の自分が好きですか?」と問われるのであれば
「いや、好きなんてもんじゃない。大好きだ」と答えるだろう。

これは決して私が能力の高い「完璧超人」であるということをいっているのではない。
むしろ私は欠点だらけのダメダメおぢさんなのである。

しかし、そんな自分を「好きだ」と言わなければ誰が私の事を好きといってくれるのか。
自分の事を愛せない人間に他人など愛せないのだ。

私は、どちらかというとマイペースであり、自分独自の考え方や行動をする方である。
人からも「独特の感性をお持ちですよね」と言われることも多々あり、クリエイティブな仕事をしているので、そのような「クセ」のようなものがあるのかなと自分では少し良い気になっていたのだが、決して褒められていたわけではないようだ。

どうやら世間ではそれを「天然」と呼ぶらしい。

なるほど、道理で言い間違いや聞き間違いが多いはずだと納得をする反面、最近は「これは天然ではなく、老化なのではないだろうか?」と心配になる時がある。

たとえば、弊社では作業中にテレビやラジオをつけている時があるのだが、その際「う○この遅れ」「う○こする」とやけにう○こ、う○こ言っているが、何なのだろうと思ったら、実際は「運行の遅れ」「運行する」であったり、保険会社からのDMに「日本人の2人に1人が一生のうちにガンに診断される可能性があります」という一文を見た時に、「のうちにがんに」の部分が「う○ちがにがい」となぜか脳内で変換され

「日本人の2人に1人が一生う○ちがにがい」とはどういうことだ?何かの病気か?としばらく悩み、もう一度よく読みなおした後に「あ、病気はオレだ。。」と深く落ち込む。

なぜならば、その後何度も見直しても、どのように読み返しても、「う○ちがにがい」とはとても見えないのだ。そもそも無理がある。

しかし、そのようなウソのような読み違いを本当にしてしまっているのである。
これはもう、かなりヤバい。
たしかに、注意散漫になりがちなところがある。
プライベートなら笑って済まされるが、仕事など大事な話になると変わってくる。
取引先と意思疎通ができないと「この会社大丈夫かな」と不安に感じさせ、場合によっては取引を打ち切られる可能性もでてくる。自分の短所は理解しているつもりなので、極力気をつけるようにはしているのだが、いざ余裕がない時や切羽詰まる時はどうしてもおろそかになってしまう。

発言に関しても天然なところが出てしまうところがある。
なるべくマイナス言葉、相手を傷つける揶揄はしないようにしているので、極力言葉は選んで発言はしているのだが、悪気なく思ったことを発言してしまう。

なので、時には誰かを知らず知らずのうちに傷つけてしまったり、失ったりして初めて犯した罪を知るのだ。
文字として振り返ってみるとさすがにへこむ。
これはあきらかに短所である。
しかし、そんな短所もおぢさんになると個性に変わってくる。
私の注意散漫な部分を危なっかしく感じるのか守ってくれる友人がいる。
その友人から言わせると、私は人に合わせて態度や言動を変えることがない人間なので、信頼に値するそうだ。また、集団行動においてもマイペースに行動するので、変わった人だと認識されてはいるが、むしろ長所として捉えられる。

個性とは長所だ。

いままで短所に思えたものが個性となり長所になる。
だから人生とは面白い。
ただ、短所を個性として受け入れ、長所にするのには一貫性が重要となる。

たとえば、「天然」の話でいうならば、対義語は「人工」や「養殖」だろうか。
人工や養殖の人はどこか計算高いところがあり、相手の反応を見ながら態度や言動をコロコロと変える人であろう。

このように書くと私が「あざとい人」が悪い。と言っているようだが決してそうではない。
「あざとさ」も貫けば個性だ。良く言えば、それだけ周りのことを見られる、気遣いができるということになる。

私が言いたいのは「態度や言動をコロコロと変える人」が良くないということだ。
「態度や言動をコロコロと変える人」は自分ことしか考えていない。
そのような人間は誰からも信頼されないのだ。
歳を取るとイライラしたり、キレやすくなるのは脳の萎縮が進み、理性的なブレーキをかける前頭葉が衰えるからだそうだ。

最初の方で例にあげさせていただいた聞き間違いは「天然」でなくもしかしたら私の前頭葉が腐ってきた証なのかもしれない。
前頭葉を鍛えるためには新しいことやクリエイティブなことに挑戦することが有効らしい。
多数派や無難な意見に流されず、ある意味で「自分勝手なこと」をする「天然」な行動はまさにもってつけだろう。

これからも私の天然な部分により、言動や行動が裏目に出て周囲の人に迷惑をかけてしまうこともあるかもしれない。だが、素直で天真爛漫な天然を貫き、愛されるおぢさんになれるよう邁進していきたいと前頭葉の腐り始めたおぢさんはいつも思うのである。

(2022.02.18:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。