男子たるもの、歴史上の人物に少なからず
憧れたりする。それはゲームであったり、
漫画であったり、幕末の志士や戦国武将は
都度キャラクター化され、私たちは過去の
偉人たちをヒーローと同じような扱いとして
触れる機会が多いからなのかもしれない。
10月27日は明治維新の精神的指導者
といっても過言ではない吉田松陰の
命日なんだそうだ。吉田松陰といえば、
歴史の授業や、時代劇などで見る機会も
多い幕末のレジェンドの一人であろう。
彼に触れる媒体を目にすることで得た
私のイメージは、松下村塾を開いた
聖人君子。という感じであったのだが、
何気に気になり調べてみると、相当な
勢いでヤベー人間だったようだ。
たとえば、21歳の時、親友と東北旅行を
計画を際、通行手形がなかなかもらえず、
友と約束していた旅行日に間にあわない。
そこで、しょうがないので死罪覚悟で
脱藩をする。という、まぁ、もしも私が
その親友だったら正直、ドン引きな行動を
とるのだ。その他にも、黒船が来航した際、
「外国留学するチャンス!」と捉えて、
勝手に黒船に乗り込み、密航させてもらおう
として盗んだ小舟でアメリカ艦隊に横づけし、
黒船のデッキに乗り込むはいいが、
当然のごとく追い返される。という、
完全にこんなん、マンガの世界ですやん。
とツッコミたくなるような行動を真剣に
行うのである。その後、吉田松陰は牢獄に
入れられることになるのだが、その時の
気持ちを一句詠んでいる。
「かくすれば かくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂」
このようなことをすれば、こうなることは
わかっていた。しかし、それでも私を
行動に踏み切らせたのは、日本を想う心に
他ならないのだ。という意味らしい。
時代背景が現代と違うとはいえ、
現在で例えるなら、犯罪を犯した人間が
受刑中に作曲した歌を歌う。という、
ネットニュースで目にしたとしたら、
この人は、そういう心の病気なんだなー
という感想が出てしまう。ちなみに
吉田松陰は、生涯で何回も牢獄に
入れられており、最終的には前科5犯
だったそうだ。まぁ、この後に、
仮釈放になり、謹慎中に家で近所の人を
相手に講義を始めたのが、松下村塾らしい。
この松下村塾からは高杉晋作や、
初代内閣総理大臣伊藤博文など、
そうそうたる面々が育ったということを
考えるのと、それぐらいの気概がないと
当時の日本を変える礎なることは
できなかったのであろう。
今の時代ではチープに見えることも
当時の人たちからすれば、真面目も
大真面目。命を削りながら己の志のために
行動していたのであろう。
吉田松陰。最終的には、聞かれてもいない
老中暗殺計画を「あれ、俺がやったんぜ。」
と自ら暴露して、安政の大獄において
刑死者となってしまう。吉田松陰が
無くなった年齢は29歳。肖像画などから
おぢさんと同じぐらいの年齢だったのかな
と思ったのだが、以外と若かった。
彼の意志を継いだ弟子たちが力を尽くし、
松蔭の死後8年後、日本は明治という
新しい時代を迎える。次の世代に向けて
吉田松陰はこんな言葉を残している。
「諸君、狂いたまえ。」
現状に満足せず、常識という壁を
いつも自らの行動で壊してきた
レジェンドの言葉に、50歳手前の
おぢさんは何か心に刺さるものがある訳で。
Apple創立者のひとりである、
スティーブ・ジョブズも次世代の若者たちに
語った言葉で、
「Stay hungry,
stay foolish.」
ハングリーであれ、愚かであれ。と
語っている。また、先日亡くなられた
アントニオ猪木会長も同じように
「馬鹿になれ。とことん馬鹿になれ。
恥をかけ。とことん恥をかけ。
かいてかいて恥かいて
裸になったら見えてくる。
本当の自分が見えてくる。
本当の自分も笑ってた。
それくらい馬鹿になれ。」
というポエムを残している。
ニュアンス、やり方、時代は違えど、
世に名を残す人たちは、同じような
マインドであり、語る言葉も同じような
思想であるのだなと学ぶことができた。
今のご時世というか、時代が違うので
犯罪を犯す程に、愚かに狂うことは
難しいし、できないことである。
しかしながら、世の中に許される範囲で、
また、自分の限界を超えるという意味で
狂うことは可能であろう。
平穏の生活の中にイノベーションは訪れない。
どこか常軌を逸することで、良いアイデアと
面白さを伴うイノベーションが起きる。
発想では、すでに軽犯罪を犯しているような
アイデアを持ち合わせた頭のいかれた
おぢさんではあるが、時代の流れを
加味しつつ、人様にご迷惑をおかけしない
程度の狂気は出して行きたい。
そんな、僅かな狂気では吉田松陰のような
変革を起こすことはできないであろうし、
影響力も少ないだろう。
もし、狂気の出し方を間違えて人様に
ご迷惑を掛けてしまうことがあったと
したならば、おぢさんは吉田松陰の
言葉を借りてこう言いたい。
こうなることはわかっていたが
それでも私を行動に踏み切らせたのは
日本を想う心に他ならないのだ。と。
(2022.11.04:コラム/上野龍一)
【 上野龍一 】
~プロフィール~
1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表
経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。
また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。
「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。