第9話:見た目は大人、頭脳は子供のおぢさんはコラムを書きながら少しへこむ

「見た目は子供、頭脳は大人」
コナン君のキャッチフレーズだ。

まて、高校生は大人なのだろうか。

2022年の4月より成人の年齢が18歳に引き下げられる。
であったとしても、コナン君は高校2年生のはずなので成人ではない。
では、大人とは何なのであろうか。

「大人と成人の違い」と検索したところ、政府の広報オンラインが出てきた。

2022年の4月より成人年齢が引き下げられることによって、何が変わり、何が変わらないのかを解りやすく説明されている。
このサイトに書かれてある見解だと、「18歳から大人に!」とあるので
「大人=成人」という認識で良いのだろう。

そんな中、面白い文献を見つけた。
「違い.site」というサイトでは、大人と成人は明らかに違うというのだ。
そのサイトによると、
大人は「社会的な責任を持っており、十分な分別がつく人のこと」。
成人は「一定の年齢を超えて、未成年ではなくなった者のこと」。
と定義づけている。

大人は内面を基準にし、成人は年齢を基準にして考えられるので、明らかに違いがあるのだそうだ。
なるほど、そういう考えも一理ある。
しかし、そうなると、小学生として生活しているコナン君は「謹労・教育・納税」の義務を果たしていない。
コナン君は社会的な責任を果たしているのだろうか。
そもそも、ここで言われている「責任」とは何なのか。
「責任」とは、立場上負わなければならない任務や義務のことだ。
そうなると、社会的な任務や義務はないが、十分な分別が付くコナン君は大人なのだろう。
この定義で行くのであれば、「見た目は子供、頭脳は大人」のキャッチフレーズも納得がいく。
なぜなら、大人という言葉を「概念」としてとらえるのであれば、「社会的な責任」の部分は、さほど重要でなく、大人=十分な分別がつく人のこと。
という認識になるのであろうから。
という屁理屈を延々と考えていたのだが、内面的な定義で大人を決める場合、私はどうなんだろうと立ち止まって考えてみた。

一応、経営者であり四十後半のおぢさん。
「謹労・教育・納税」の三大義務は果たしていることからも、「社会的な責任」は持っているだろう。
しかし、先ほどの定義でいくと、この「社会的な責任」という部分は該当はするが、あまり重要ではない。
では、「十分な分別がつく人」の部分はどうだろうか。
「あなたは十分な分別がつく人ですか?」と、仮に聞かれたとする。
その時、「はい。私は十分な分別がつく人です。」と言いきれるかというと、言いきれない自分がいる。
いささか「?」が出てしまうのだ。
なぜなら私はマイペースで、自分独自の考え方や行動など、いわゆる空気が読めないような言動をすることがある。

もうすぐ50歳になろうというのに、ある意味、精神的に大人になりきれない。
表面的には立派な大人なのだが、内心、非常に傷つきやすく臆病者のおぢさんなのだ。
となると、私は先ほどの定義で行くと「見た目は大人、頭脳は子供」というキャッチフレーズとなる。
うむ。可愛いじゃあないか。私。
厨二病ですやん。

そう思い、ニパニパしながら何気なくネットで検索をして行くと段々と変な方向に進み始める。
精神的に未熟な大人の特徴、心理を「ピーターパン症候群」というらしい。違う違う。
そうじゃ、そうじゃない。
これは個性で病気ではない。
こっちとら「社会的な責任」を果たしているのだから。
ただ、少しだけ心の中にトイザ○スキッズがいるだけなのだ。
子供でいたい。
ずっと、トイザ○スキッズ。
大好きなおもちゃに囲まれて。
大人になんかなりたくない。
僕らはトイザ○スキッズ。
ヤバい。追い打ちをかけている気がする。
私はただ、コナン君の「見た目は子供、頭脳は大人」というキャッチフレーズが少し気になり、色々と調べてみただけなのに。
おぢさんだけど、子どもっぽいことが好きなだけなのに。
なぜこんなことになってしまったのか。

そもそも、私の心の中にいるトイザ○スキッズは個性の一部であり、私の全てではない。
ピーターパン症候群といわれる症状の一部が当てはまっていただけで全てが当てはまる訳ではない。
人を勝手に病気にするなとプリプリしながら検索を続けると、パーソナリティ障害に似たコンセプトだが精神医学の正式用語ではないらしい。
あぶない。多様化が進む現代社会、ましてや今まで普通だったものが普通でなくなる昨今において、少しばかり異質なものを「病気」と表現してしまうのはいかがなものか。

もしかしたら、これまで普通という基準に頼ってきた感性を見直す時期が来ているのではないか。
これからは個性を尖らすことで自分がどのように生きると幸せになるのかというデザイン力を持つ人間が、人生の幸福度を上げていくことにつながる時代となって行くであろう。

私の中のトイザ○スキッズは、人生の幸福度をあげる個性の一部なのだ。
と、もしかしたら心の病気かもしれないと傷つきやすく臆病者のおぢさんは自分を勇気づけるのである。

(2022.03.04:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。