最近、小学生を中心に会話中
「はい論破!」などと言って、相手を
言い負かそうとする「マウント小学生」
が増えてきているそうだ。
テレビ朝日のニュース記事から一部を
抜粋すると、先月末、都内の家庭では、
母親と小学1年生の息子との間で、
こんなやり取りがあったらしい。
母:「宿題もっと早くからやって
おけば、良かったんじゃないの?」
息子:「それってあなたの感想ですよね?」
母親:「感想というか、えっ?教育的な指導
じゃない?これはと思いながらも、
モヤモヤします。自分が最後に
言い切らないと気が済まないみたいな。
何でこういう言い方になるのかな?と」
別の家庭では、こんなやり取りがありました。
母:「帰宅が遅くなるなら、
ちゃんと連絡して!」
息子:「じゃあ、ママが遅くなる時に
何時に帰るとか、どこにいるとか、
細かく連絡してきてるの?」
母:「…」
息子:「はい論破!」
相手を言い負かそうとしたり、
相手よりも自分が優位に立っている
ことを示そうとしたりする、
いわゆる「マウント」です。
今、こうした「マウント小学生」が
増えているといいます。背景には一体、
何があるのでしょうか?
(「グッド!モーニング」
2023年9月6日放送分より)
この後、専門家なる大人が
色々と分析や対策を述べているのだか、
いやいや、こんなもん、
子どものヘリクツですやん。
昔から子どもは、こんな感じですやん。
かわいいもんですやん。
と、おぢさんは思ってしまう。
たしかに、西村ひろゆき氏の言葉に
乗っかった、流行り言葉を使ってはいるが
議論がしたいのであれば、その方が
感情でこられるよりも、おぢさん的には
扱いやすい。ただ、残念なことに、
先ほどのニュースの事例内容は
議論として成り立っていないように感じる。
先ほどのニュースの例をおぢさん的に
答えるのであればこうだ。
おぢさん:「宿題もっと早くからやって
おけば、良かったんじゃないの?」
息子:「それってあなたの感想ですよね?」
おぢさん:「感想じゃなくて、事実だよね?
早くから、宿題をやっていないという、
事実の話をしています。そもそも、
質問をしているのは、こちらなのだから
質問を質問で返すな。
聞いていることに答えろ。」
となる。
別のケースをおぢさん的に答えると
おぢさん:「帰宅が遅くなるなら、
ちゃんと連絡して!」
息子:「じゃあ、おぢさんが遅くなる時に
何時に帰るとか、どこにいるとか、
細かく連絡してきてるの?」
おぢさん:「質問を質問で返すな。
そもそも、細かく連絡しろとは言っていない。
遅くなるなら連絡しろと、こちらが問うている
のだから「はい」か「いいえ」で答えろ。」
となる。
お分かりいただけたであろうか。
どちらの事例も質問を質問で返すという
行為であり、意見を交わしてはいない。
聞きかじりで「論破」などと言ってはいるが、
そもそも、論じてもいないし、「破」も
されていない。何度もいうが、議論とは
お互いに意見を交わすことであり、
更に言えば、一問一答というのが
原則だと考える。このやり取りが
成立しないと会話は前に進まない。
ジョジョの奇妙な冒険第4部に登場する
吉良吉影が「質問を質問で返すなあーっ!!」
とブチ切れる有名なシーンがある。
質問者は、自分の質問に対する答えを
知ることが優先事項だ。その優先事項を
無視し、期待していたこととは全く違う質問を
されるということは、もはや会話は成立しない。
そのようなコミュニケーションをしてしまうと
「質問を質問で返すなあーっ!!」と
キラークイーンに木っ端微塵に
爆破されても文句はいえないのだ。
当の西村ひろゆき氏はX(Twitter)上で
「感想を事実のように言う人に
『それってあなたの感想ですよね』と、
言う事の何が悪いのかわからないおいらです。
事実と感想をごっちゃにしてたら卒業論文
通らないですよ、、、」と私見を述べている。
全くその通りだ。
先の例の場合、マウント小学生が
事実と感想をゴッチャにしている。
本来であれば、PDCAの
Do(実行)が終わり、Check(評価)
をし、Action(対策・改善)の部分を
どの様にしていくのか。と
親に問われているのだから、
マウント小学生は、それを
答えなければならない。
しかしながら、マウント小学生は非を
認めたくないばかりに、ヘリクツという
「議論もどき」を盾に逃げようとする。
このようなヘリクツに付き合う必要は
本来ない。
何故ならば、正義はこちらにあるからだ。
例題において、詳細は分からないので
前後で、どの様なやり取りがあったのかは
分かりかねるが、例題の部分だけを見ると
なぜ、この子たちの親は、こうも簡単に
引き下がってしまうのか不思議でならない。
あまり「自分たちの頃はこうだった」と
引き合いに出すのは好きではないのだが
おぢさんたちが子どもの頃は、
「お母さんだってやってるじゃん!」的な
子どものヘリクツに対して、
「大人は良いの!」と、もはや
議論ですらない、良くも悪くも
「ならぬものはならぬ」という
会津藩士「什の掟」を都合よく違約した
大人の理不尽が、まかり通っていた。
そう思うと、現代における
大人と子どもの距離感は近くなり、
大人は子どもを「個」として
認めているのであろう。
子どもを個として認めるのであれば、
なおのこと、遠慮ではなく、キチンとした
議論をすべきであろう。
そのうえで論破されるのであれば
それはそれとして認めるというのが
正しいあり方だと考える。
まぁ、結局、何が言いたかったのかというと
「可愛げ」って大事だよね!ってことである。
(2023.09.29:コラム/上野龍一)
【 上野龍一 】
~プロフィール~
1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表
経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。
また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。
「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。