第25話:新潟に住まうおぢさんはオレンジリボンたすきリレーを今年も行うらしい

私の行っている活動として
「無限の可能性を想像して創造する」
というコンセプトで作った可創研こと
可能性創造研究所。また、「新潟を
創るのは俺たちだ!」と仲間で集まり
様々なことに挑戦するクリエイター集団
ニイガタ工務店。とまぁ、色々と
やらせていただいているが、友人と
作った団体で、私が現在活動している
にいがた元気プロジェクトという団体が
ある。どのような団体かと言うと、
新潟を元気にして行こうぜ!という
活動はもちろんだが、県外、もっというと、
他国からみて、新潟でなんか面白いこと
やってるみたいよ?とか、最近の新潟って
すごくない?新潟の人って、うらやましい!
私も新潟に行きたい!新潟に住みたい!と
思ってもらえるような発信、活動をして
行こうぜ!という団体だ。

もともとは新潟青年会議所で一緒に幹事と
いう役職をやり、かれこれ10年間、
何気に、気がつけば一緒にいる友人と話を
している際に、「新潟のために活動するのも
大事だけど、外から見られた時に、
いーなー面白そうだなーって思ってもらえる
活動、まちづくりをしたいよね。」みたいな
会話で意気投合、「いーじゃん、面白そう!」
と作ったのが、成り立ちだったように
記憶している。新潟青年会議所に在籍させて
頂いた時に事業のやり方、考え方をミッチリ
学ばせて頂いた。その経験を踏まえて、逆に
新潟青年会議所在籍時代ではできなかった
ユルさとフレキシブルさでやってみよう。
「想ったことをできる範囲ですぐ行動」
という、なんともユルユルな会なのだが、
それでも毎年、キャリア教育の一環として
各学校に出向き仕事の意義や働くことの
意義を伝える職業講話。その他にも
SDGsの活動や地域のイベントなど、
ユルユルな割には、しっかりとした
真面目な活動を行っている。

そんなユルユルな、にいがた元気
プロジェクトが行っている活動の
一つに、オレンジリボンたすきリレー
という事業がある。この事業、
どのような事業かというと、
子ども虐待防止の象徴である
オレンジリボン。これをたすきに
仕立て、身に着け走ることで、
市民の方々に広く子ども虐待防止を
呼びかけるという全国で行われて
いる事業で、新潟での実行委員会を
私たち、にいがた元気プロジェクトで
担当し、やらせていただいている。

このオレンジリボンたすきリレーが
新潟で初めて開催されたのが四年前。
全国的に広がりを見せていたオレンジ
リボンたすきリレーを新潟でも
開催したい!新潟でやりたいが、
やり方が解らない。という悩みを
持った男性と当会の会長が、
知り合ったことが始まりとなる。

子どもが虐待による死亡事例は
年間50件を超えるそうで、
例えると1週間に1人の子どもが
命を落としていると言われている。
この問題は新潟においても決して
例外ではない。新潟といえば、
アルビレックスを始めとする、
オレンジ色が象徴する町である。
新潟で、全国的に開催されている
このオレンジリボンたすきリレーを
やらない訳にはいかないでしょ!
新潟から児童虐待が無くなると
良いよね。という想いをみんなで
示そうぜ!皆の心を1つにすれば
大きな力になるんだ!。
幸い私たちには事業を行うための
知恵がある。ぜひ一緒にやりましょう!

と始めたのが<オレンジリボンたすき
リレーin新潟の始まりだ。
じぁあ、児童虐待防止推進月間である
11月3日、文化の日に毎年やろう!
新潟を象徴する万代橋、やすらぎ堤で
やろう!アイデアを具現化する力、
行動力、一度話が進むとスピーディー
に進んでいくのが当会の特徴でもあり
強みだ。あれよあれよと、開催が決定し
今年で4年目を迎えることができた。

開催当初は参加者150名ほどであったが、
回を重ねるほどに参加者も増え、昨年は
500名を超える参加者に、お越し頂いた。
わずかずつの広がりかもしれないが、
それでも、皆の心を1つにすれば大きな力に
なっていくということを証明しているのでは
ないだろうか。子ども虐待防止に向けた
の呼びかけと撲滅の呼びかけの輪は
これからも広がっていくであろう。

もちろん、続けていくと心無い批判も
でてくる。こんなイベントは偽善だとか、
走って虐待がなくなるのか?という声は
毎年耳にする。たしかに走ったからとはいえ
児童虐待が無くなる訳ではない。そんなことは
当たり前のことだ。私たちはこの事業に、
少しでも参加頂いたり、何かしらのカタチで
触れることで、児童虐待について考える機会
となればいいなーという、言わば呼びかけ
でしかないのだ。確かに偽善かもしれないが、
何も行動を起こさないより、行動する偽善の
方が素敵やん!とおぢさんは思う。

オレンジリボンたすきリレーin新潟、
児童虐待防止推進月間である11月3日、
文化の日にやすらぎ堤にて行われる訳だが、
今年はありがたいことに、総勢300人を
超える方からの申し込みがあった。
残念ながら、ランナーとしての受付は
閉め切ってしまったが、家族で楽しめる
ブースが盛りだくさんとなっている。
フリーマッケットやキッチンカー。
柿の種を使った唐揚げ「亀揚げ」の販売。
子どもたちでシャボン玉を飛ばそう!
というワークショップイベント。
的当てゲームで景品をもらっちゃおう!
という、的当てゲームブース。
オレンジリボンたすきリレー会場内に
隠された謎を解くことでお宝をゲット!
という謎解きブースなどなど。

今年は特に11月3日といえば、
延期となっていた花火も開催される。
花火を見に行く前に、やすらぎ堤で
行われている、オレンジリボンたすき
リレーに来て遊ぶという休日を
満喫されるというのはいかがであろうか。

ぜひ、このイベントを楽しんでもらい、
そんな中から児童虐待が無くなると
良いよね。と考えるきっかけとなれば
幸いである。

(2022.10.21:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。

第24話:おぢさんはスカっとする話でスカっとしない

小さい頃からアニメやマンガ、特撮が
大好きだった。 だって男の子だもん。

あと、時代劇なども好きで、
子どもの頃から水戸黄門や大岡越前など
よく見ていた。そんな幼小期だったことも
あるが、「勧善懲悪」という考え方が、
男の子の根っこの部分には刷り込まれて
いると思う。

最近、ネット記事やYouTubeの
お勧めなどに「スカッとする話」という
のが良く出てくる。テレビの番組でも
あるみたいだ。しかし、おぢさんは
どうも、あの手の話が好きになれない。
個人的に全然スカッとしない。

2020年10月2日、当時のアメリカ
大統領、ドナルド・トランプ大統領と
メリッサ夫人が新型コロナウイルスの
陽性が公表された日に、アメリカの
出版社メリアム-ウェブスターが、
「シャーデンフロイデ」という単語の
検索数が普段より3万500%増加し、
最も検索された単語の1つになったと
報告したそうだ。シャーデンフロイデとは、
「シャーデン(損害)」と「フロイデ(喜び)」
が組み合わさった言葉で、「他人の不幸から
得る喜び」のことなのだそうだ。

「人の不幸は蜜の味」などという言葉も
あるように認めたくないが、この喜びは
大変なじみのある感情だ。そして、喜びを
味わった後、おぢさんはいつも罪悪感を
感じるのだ。こころの中に陰と陽がある。
例えば、私たちは友人が転ぶと笑う。
しかし、それと同時に助けようと駆け寄り、
無事かどうかを気にかける。人間の感情は
移ろいやすい。それを受け入れることで、
おぢさんは、この罪悪感や恥の意識から
解放されることになるのだ。

ニューポートビーチの地域精神医学の
マガビ博士は、ごく一般的な感情である
ことを強調している。多くの人が、不安、
生い立ち、気質など、様々な要因で、
この感情を抱く。一方で、「自尊心の
低さや自信のなさに苦しむ」人たちが
抱きやすい感情で、羨みや嫉妬から
生じている可能性があるともいうのだ。
中程度のうつの人は、軽いうつの人に比べて、
「フロイデンフロイデ:他人の成功から得る
喜びの感情を体験し辛いらしいのだ。

なるほど。元来、こころの中に16歳の
乙女がいる「メンヘラおぢさん」である
私がこの感情を持つことは、
居たって自然のことらしい。

テレビやネットにあふれているスカっとする話。
そもそも根っこの部分が病んでいるおぢさんには
「え?その程度でスカッとするの?」という
話の落ちが多いこともあるし、仕返しの仕方が
陰険なものが多い気がする。

俺たちは白でも黒でもない。GLAYだ。
善悪という定義には人によって差がある。
とかく、昨今の世の中は白黒をつけたがる
風潮に感じて仕方ない。
多様性が叫ばれている反面、それを認めず
個人の正義感を押し付けてくるという
世知辛いになりつつあるのかもしれない。

相手の価値を貶めることで相対的に
自分を優位に立たせようとする人。
それをアドラー心理学では価値低減傾向と呼ぶ。
いじめや差別もこの価値低減傾向の一種で、
優越コンプレックスの特徴だ。
強い劣等コンプレックスを持っている人が
自分よりも弱い人をターゲットとして苛め、
相対的に自分を上に位置づけようとする。
劣等・優越コンプレックスという自分だけの
方向から、他者への関心と貢献に視点を
切り替えていけば、自分も受け入れられるし、
他人も受け入れることができるという
幸福な状態を生み出すことができるのだ。
人生についての意味づけ。これをアドラー
心理学ではライフ・スタイルと言う。
人生とは自分のためだけに生きるのではない。
他人のために貢献していくということ。
それが巡り巡って自分の幸福につながる。

ニーチェは、このシャーデンフロイデに対して、
興味深く有意義な見解を持っていた。
シャーデンフロイデは、悪人がついぞ当然の報いを
受けたことに対する道徳的に正当な反応なのだと
思いたくなる。しかし、ニーチェは、シャーデン
フロイデは道徳的な正しさや、道徳の高さの証し
ではないと言っている。そのまったく逆で、
それは人の恨みの感情の証しであり、人の弱さや
虚無感の証しなのだそうだ。ニーチェは、欲求不満と
恨みを抱いている人だけが、他人をこき下ろしたり、
他人の失敗に満足を見出すことで、自分を優位な場所に
置こうとするのだといっている。
ニーチェにとって、真に優れた人物とは、
達成や成功を0、100で考えておらず、
他の誰かが敗者になることで、自分が勝者になれる
とは考えない人物なのだを指すらしい。

勧善懲悪とは、善が悪を懲らしめることを意味する。
この正義という定義は人によって差がある。
近い言葉で因果応報というものがある。
因果応報とは、人はよい行いをすればよい報いがあり、
悪い行いをすれば悪い報いがあるということだ。

自分の正義を人に押し付けるのではなく
自分なりの尺度を持って行動していきたいもんだなぁと
おぢさんはいつも思う。

(2022.09.30:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。

第23話:いつからが老人なのか気になるおぢさんは色々と思うところがある

早いもので、もう9月だ。
そう言えば、敬老の日って、いつからか
日にちが変わったよな?と、フッと思い、
気になったので調べてみたところ、
2002年までは毎年9月15日を敬老の
日としていたがハッピーマンデー制度が
導入されたことから、2003年から
9月の第3月曜日が敬老の日となった
そうだ。敬老の日は、「多年にわたり
社会につくしてきた老人を敬愛し、
長寿を祝う」ことを目的としている日
なのだそうだ。
見ず知らずの老人をいきなり愛しむのは
いささか、はばかれるが、まぁ、周りの
年長者に対して感謝の気持ちを持つという
ように理解するのであれば、まさに
素晴らしき「日本のこころ」なのだろう。

そうなると、いつものように、
「めんどくさいおぢさん」は疑問に思う。
いったい、いつからが老人なのであろうか。
60歳の還暦からか?

そういえば、昔話の桃太郎に出てくる
「おじいさん」と「おばあさん」は
人生50年と言われていた時代の話なので
実年齢的には40代ぐらいだったらしく、
川から流れてきた桃を食べてハッスルして
生まれたのが桃太郎という話を
聞いたことがある。

そう考えると、もしかしたら、私みたいな
おぢさんも、すでに老人の部類に入っている
のかもしれない。そう考え調べてみたところ
サントリーウェルネスが2021年12月に
日本人の年齢に対する価値観についての
調査を20~79歳の男女一万人を超える
調査を行った結果、
「おじさん、おばさん」が49.0歳、
「シニア」が61.6歳
「おじいさん、おばあさん」が
69.0歳、
「お年寄り」が73.1歳
という結果が出たそうだ。

チョット待て。「老人は何歳からか」と
調べたいのに、「シニア」とか、
「おじいさん、おばあさん」とか
「お年寄り」とか。年配の方を
細分化された情報が出てきたとて、
「老人って一体いくつなんだよ!」と
イー!となってしまう。
しかも、この情報だと、現在47歳の
おぢさんは実は、まだ「おじさん」では
ないということになる。

さらに調べたところ、NHK放送文化
研究所の視聴者からの疑問で同じような
質問があった。その解説によると、
老人ホームへの入所などの対象が
65歳以上の者としているほか、
老齢基礎年金の支給は65歳と
なっており、放送でも以前は65歳を
「老人」という語を用いる場合の一つの
目安にしていたそうだ。

なるほど。わかりやすい。
ということは、敬老の日は
65歳以上の方に敬意をはらう日
ことなんだなぁ。とスッキリした反面、
その後に続く解説に少しモヤっとする。

『しかし、高齢化社会が進み平均寿命も
グーンとのびた今の時代に、この年齢以上
の人たちを一概に「老人」「お年寄り」と
するには無理があるようです。
65歳以上でも、今や第一線で働いている
人たちが増えていますし、たとえ働いて
いなくても「老人」や「お年寄り」と
言われることを心外に思ったり不快感を
抱いたりする人が大勢います。このため、
「老人」「老女」「おじいさん」「おばあさん」
などという言葉は使い方に注意しています。
例えば、「還暦を迎えた(過ぎた)老人たち」
というような場合には、「還暦を迎えた
(過ぎた)人(方)たち」などと
言いかえられます。』 とのこと。

は?

このようなシッカリとした
エビデンスがあるにも関わらず、
そのような事実を受け入れられない
方々のために、回りくどい表現となり、
私の疑問は中々解決できなかったのか?
事実は事実だろ?と少しイラッとする。
いちいち、こういうことでクレームを
つけてくる方々にはぜひ、老人では
ないので年金は要らないと辞退して
欲しいものである。

ちなみに敬老の日が9月の第3月曜日に
なったことで、本日9月15日は老人の日
となったそうだ。理由は日付を変更する
ことへの反対の声が上ったためだそうで
新たに老人福祉法によって定められたそうだ。
老人の日は老人福祉への理解や関心を高める
ことと社会を生きる人々が協力して助けあい、
老人が自ら生活の向上を務めることを目的と
されているとのこと。
また、9月15日から21日までの1週間は
「老人週間」だそうで、毎年、内閣府には
キャンペーンのページがあり、目標とする
取組などが紹介されているらしい。

もはや私のような学の無い人間には、
さっぱりわからん。
しょせん、世の中は激しく主張したものが
強いということなのだろうか。

そういえば、若いころは、いつからが
おじさんで、いつまでがお兄さん?
みたいな論争もあったが、
まぁ、結婚したらおじさんじゃね?
なんて漠然と思っていた。
例えば、他所の子に、他所ん家のパパが
「お兄さん」なんて言っていたら、
「こいつヤベー奴だ。」と他の親御さんから
後ろ指を指されかねない。
多様性が叫ばれている昨今、表現の使い方に
注意を図るのは理解できる。
今の時代、どこからどこまでっていう
線引き自体がむずかしいのかもしれない。
だが、多様性を叫ぶのであれば、
反対意見があることも認めなければならない。

そんな混沌とした素晴らしい社会を
生き抜くためにも、亀仙人のような
ユーモアをもった老人に私はなりたい。

(2022.09.02:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。

第22話:おぢさんはハッカ油で、ひと夏の経験をする

暑い。まだまだ暑い。
「俺たちの夏は終わらないぜ!」と
キラキラした若者たちであれば
絵になるのだが、50手前の
おぢさんには、かなりキツイ。

先日、100円ショップで
買い物中に、以前から興味の
あったものを見つけた。

「ハッカ油」

メーカーのホームページを
拝見すると、「ハッカ油」は、
「ハッカソウ」というミントを
乾燥させて抽出した植物油のこと。
消臭効果や虫除け効果、リラックス
効果があるとされており、日常生活の
さまざまな場面で活躍。とあり、
まさに「魔法のしずく」なのだそうだ。

価格は100円ショップで500円と、
そこそこ、高額ではあったのだが、
以前から興味のある代物であったため、
迷うことなく購入をした。

一時、YouTuberの方とかが、
湯船にハッカ油を大量に入れて浸かり、
「寒い!寒い!」とかやっている動画を
よく見たりしていた。節電がさけばれて
いる昨今、私も試しにお風呂にハッカ湯を
入れてみようかな。と思い経つ。
しかし、いざお風呂に入れて試してみよう
と思ったが、そもそもの適量が解らない。
それこそ入れすぎて、「寒い!寒い!」と
なってしまったらどうしようかと。
まぁ、それはそれで、ネタになるかなぁ。
とは思ったが、こちとら、根っこが
ビビりのおぢさんだ。すぐさまネットで
調べて見ると、5滴程度が適量とのこと。
とりあえず、最初にハッカ油を5滴振りかけ、
湯船にお湯を溜める。その方が後ほど入れる
よりかき混ぜる等の手間がはぶけると考えた。
湯船にお湯が溜まり、ではお風呂に
入りましょうと扉を開けると、湯気とともに
ハッカの香り押し寄せる。いたるところが
スカスカしている。喉や鼻などのはスースー
するし、なんならば、目も少し染みる。
「これ絶対アカン奴!」とビビりまくり、
しばらく全裸で立ち尽くす。
意を決し、ハッカ湯のお風呂に入浴。

「あれ?全然対したことがない。」

臭いはすごいのだが、気持ちスカスカする
程度。普通に爽快ではあるが涼を求めると
なると話は違う。

一度、大丈夫と思うとおぢさんの
分量の強弱が壊れてしまう。5滴で全然
平気なのであれば、20滴ぐらいを入れて
みよう。何ならば、水を足してぬるくしよう。
私の飽くなき探求心は止まることを知らない。
ほぼ水風呂状態にまで温度を下げ、ハッカ油を
20滴ほど湯船に垂らす。前回は適温だったため
湯気で目がチカチカしたが、
今回は、ほぼ水風呂のために差ほど目もチカチカ
しない。そう思いながら、湯船をカモカモし、
いざ湯船に入浴してみる。

ほぼ水風呂にハッカ油のスカスカ加減が
心地よい。

これは成功したな。と満足をしながら、
湯船に使っていたのだが、すぐさまに
体に異変が起きた。

意としないところで、歯の震えが
止まらなくなったのである。

おかしい。ほぼ水風呂とはいえ、
先ほどまでは適温であったはず。
特段寒さも感じていない。
なのに自然と歯が震えてきている。

ヤバイ。なんか怖い。

急いで湯船を追い炊きする。

湯船は徐々に暖まる。
暖まるのに変な感じがする。
お湯は温かいのに肌はスースーする。
いや、むしろピリピリする。
チョット寒気がする感じ。
感覚的には風邪を引き、高熱を
出した時のような症状に近い。
ひどく不自然で気持ちが悪い感覚だ。

「ヤバい!ヤバい!」
「怖い!怖い!」
「寒い寒い!」

誰に見せるでもなく、一人で
大騒ぎとなる。とりあえず、
風呂から出て、一旦落ち着こう。
状況を変えることで落着きを
取り戻そうとするが、
私は大事なことを忘れていた。

そう。風呂上がりに最大の涼を得るため
クーラーをガンガンにしていたのである。

東北地方の話方は口をあまり開けずに
言葉を短縮する。なぜならば寒さのため
極力口を開けないようにするためなのだと
何かで聞いたことがある。

真偽の程は解らないが、つい先ほどまで
「寒い寒い」と言っていたおぢさんが、
「サムサムサム」となり、ついには
「サササササ」とガチガチ震えている
状況からして、あながち間違いではない
かもしれない説である。

急いで冷房を切り、しばらくすると、
またジンワリと汗ばみ始める。

先ほどまでは「寒い寒い」と震えていた
おぢさんが冷房を切ったら切ったで、
すぐさま「熱い熱い!」とほざいている。
人間とは何と愚かな生き物なのだろうか。
そして人類は何度同じ過ちを
繰り返すのだろうか。

「俺は一人で何をしてるんだろう」と
軽く落ち込み始める。

この時期、夏の疲れ・身体のだるさから
「夏季うつ」になるケースもあるらしい。
夏季うつとは季節性感情障害の一つで、
夏の時期に発生する季節性のうつ病のことだ。

解っている。私の今回のケースは「夏季うつ」
とは全く違うということを。
ある意味、違う病気なのかもしれない
ということを。

良く言えば、おぢさんは、
「感受性が豊かな日本人」なのだ。

「落ち込んだりもしたけど、私は元気です。」

感受性が豊かなおぢさんは、
魔女の宅急便の言葉を胸に
今日という日を元気に過ごしている。

(2022.08.26:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。

第21話:おぢさんの中に今年もおばけが降臨する日がやってくる

夏だ。
夏といえばカレー。
そしておばけ屋敷であろう。
毎年、新潟市の古町で行われている
「恐怖のえんとつ村」が今年も開催される。

私が関わらせて頂くようになってから
早いもので4年となる。
最初は友人が「恐怖のえんとつ村」で
お手伝いをする機会があったらしく、
その時の経験が非常に楽しかったと、
ドヤ顔でマウントを取ってきたのが
始まりであった。
そんなに楽しいのならば、
おぢさんも参加したいんですけど!
と半ば強引に裏方さんとして参加をした。
当時は「演劇×おばけ屋敷」という
コンセプトで劇団の方々が主となって
開催されており、私は薄暗い小部屋で
一人待機をし、お客さんが来たら
壁を叩くというのがミッションであった。
おばけ屋敷の誰もいない薄暗い小部屋に
一人で待機は中々痺れる。
今となっては慣れてしまったが、
当時はビビりまくりであった。
しかし、いざ始まるとそんな恐怖心など
あっという間に吹き飛ぶ。

恐怖で悲鳴をあげるJK。
恐怖で肩を寄せ合うJD。
イチャこくカップル。

すべてがキュンキュンくる。
楽しい。楽しすぎる。
過度の興奮、求める絶叫。
「もっと!もっと悲鳴を!」
悲鳴を求めるあまり、
指示された場所以外にも音を
バンバン打ち鳴らし、オリジナルの
恐怖スポットを作ったりして
後ほど演出家の方に
「勝手なことをしないでください。」
と怒られる始末。
心の中では、えなりかずき氏が
降臨してつぶやく。

そんなこと言ったって、
しょうがないじゃないか。

合法的に人を驚かせても良いという、
日常ではあり得ないシチュエーション。
そんなエクスタシーを味わってしまえば
二度と元には戻れなくなる。
こうして、私はおばけ屋敷ジャンキー
として毎年関わることになった。

翌年、今まで設営されていた劇団さんの
スケジュールなどが合わなくなり、
お化け屋敷の開催を取りやめる話が出た。
そうなると一番困るのは、この私だ。
なぜならばお化け屋敷ジャンキーとして
うら若き乙女の悲鳴を聞かなければ、
中毒症状が出る体になってしまっている。
下手をすると、うら若き乙女の悲鳴を求めて
軽犯罪を犯してしまうかもしれない。

「もし、よかったらやりますよ。私。」

後先を考えず、ただ自分の欲望を
満たす為だけに発した言葉。

ただのお手伝いでおばけ屋敷に
参加をしただけだったのに、
そんなこんなで、いつの間にか
「恐怖のえんとつ村」の企画を
担当するようになってしまった。

今となっては、この判断が後々
自分でイベントを立ち上げたり、
新しい事業を行うきっかけとなった。

当時、この英断を下した自分を
褒めてあげたい。

さて、今回のおばけ屋敷は
毎年行われている特設会場ではなく
古町演芸場で行われることになった。
なので、期間も毎年に比べて少々短め。
古町演芸場は開催中のために
準備期間も短め。

さてさて、どうしたものか。

ということで今年のコンセプトは
「謎解き×缶蹴り」みたいな形に
することにした。
参加者が謎を解きながら、
後からおばけが追いかけまわすという
バイオレンスなおばけ屋敷だ。
ちょうど、「デットバイデイライト」
というゲームも流行っている。
リアルでおばけに追いかけ回される。
そんな経験って素敵やん。

人が変わるとコンセプトも変わる。
「演劇×おばけ屋敷」のコンセプトも
いつの間にか外されていた。
私が企画すると、どうしてもホラーの
恐怖ではなく、バイオレンスの恐怖が
勝ってしまう傾向にあるようだ。

だってしょうがないじゃないか。
人間だもの。

相田みつを氏、えなりかずき氏の
言葉がごちゃ混ぜになった感情が
私の中を駆け巡る。

ひとえにおばけ屋敷といっても色々ある。
通路を歩く定番のウォークスルー型。
乗物に乗って進んでいくライド型。
その他にもVR型や3Dサウンド型、
シアター型など、様々なものだ。
予算のある大手さんをみると
非常に作り込まれたものであり、
勉強にもなる。だが、私たちのような
小規模で限られた予算の中で
どのように恐怖をお届けするか。
そして私たちはどのように尖るのか。
そうなると私の発想ではバイオレンスに
行き着いてしまうのかもしれない。
身長190センチあるおぢさんが
いきなり暴れまわる。
それはおばけ屋敷でなくても怖い。
現実世界では、ただのヤベー奴になるが
おばけ屋敷の世界では、そのヤベー奴が
エンターテイメントになる。
現実と空想の狭間。その空間で
楽しんでいただけるように
ご用意をしなければならない。

カタチはどうあれ、
私たちがお届するのは、
恐怖というサービスを提供することで
お客様に楽しんでいただくことだ。
しかし、お化け屋敷ジャンキーの
おぢさんは、よく履き違えて、
「もっと悲鳴を!」と「驚かせてやる」
という気持ちが勝ってしまい、
お客様よりも斜め上の角度をもった
自分本位なおばけになってしまうことも
多々ある。おばけだって人間なのだ。
ただ、一つ言えることは、JAZZと
一緒で、演者とお客様、お互い自由に
セッションし高め合い、良いものを作る。
私の求めるおばけ屋敷はそういうもの
なのかもしれない。

(2022.07.29:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。

第20話:前頭葉の腐ったおぢさんは飴を最後まで舐めることができない

基本、職人のおぢさんなので
ご飯を食べるのが人より早い。

「良く噛んでゆっくり食べること」が
身体に良い効果をもたらすことは知っている。
「良く噛んでゆっくり食べること」は、
体重減少の効果があることや認知症予防に
つながると言われていることも知っている。

知っているうえであえて言う。

私は「口の中に同じものがいつまでも
入っている状態」が非常に苦手なのである。

良く噛むことで、食べ物が口の中で違う物質に
変わっていく過程というか、平たく言うと
「食べ物が口の中でウ○コになる」
ようなイメージが拭えない。
口の中に入れた時の「美味しい」と感じたものを
出来るだけそのまま胃袋に流し込みたいのだ。

少し話が変わるが、私は飴を噛む癖がある。
もうすぐ50歳になるおぢさんだが、
飴を口の中で最後まで舐めた記憶がない。

これも先に述べた「口の中に同じものが
いつまでも入っている状態」が非常に苦手なのも
あるが、飴をなめているうちに鋭利になった
箇所で舌先を傷つけた記憶もあり、飴を食べる時は
口に入れた瞬間に噛み砕いてしまう。

飴を噛む人はストレスを感じているという話を
聞いたことがある。
たしかに、私はストレスを感じている時に
ポテトチップスや柿の種などの歯ごたえの
あるものを好む傾向にある。
その辺のことを詳しく知ろうと
検索をしてみることにする。

「飴を噛む」ことについて色々と
調べてみたが、基本的に強いストレスが
そうさせるとのことだった。

心理学者の内藤誼人氏いわく、
心理学的には噛むという行為は
『不満や怒り、攻撃性の表れ』なのだそうだ。
人と話している時に相手が飴を噛み始めたら、
心理学者は『今、この人には不満なことが
あるのだろうな』と推察するとのことだった。

この一文にすごく違和感がある。
「人と話をしている時に飴を
噛み始めたら~」とあるが、まず、人と話を
している時に飴を舐めているという状態。
飴を舐めながら話せる間柄なら、よほど
親しい間柄でなければまずあり得ない気がする。
それほど親しい間柄であるのならば、
飴を噛む前から、その人が強いストレスを
感じていることは解るであろう。
特に心理学者の前で話をする時に
飴を舐めながら話すという、シチュエーションが、
かなりシュールなのだが、これはカウセリング中に
心理学者から飴を舐めるように勧められる
ということなのだろうか?違ったとしたら、
この人は飴云々以前に、人をなめた
ヤベー奴ということになる。

その他にも調べてみたが、基本的に「個性的」
「飽きっぽい」「ストレスを抱えている」など
マイナスな言葉の羅列。ネット上から様々な
ダメ出しをくらい、最終的には「せっかち」
という烙印を押され、「それは。。。心理分析
なのか?」と一人呟きながら少しヘコんだ。

自分としては、あまり納得のいかない結果だ。
今のところ目に付くものはエビデンスに乏しく、
「飴を噛む奴はこういう人間だ」という
決めつけにしか思えないからだ。

心理学用語のひとつに「バーナム効果」
というものがある。
「バーナム効果」とは、誰にでも当てはまる
性格などの特徴を言われた人が、
自分に当てはまっていると勘違いを
してしまう現象のことで、血液型占いや
朝のテレビで流れている占いランキングなどは
この「バーナム効果」を使ったものが多い。

ようは「あなたって○○だよね?」と
解ったフリをされ「あー、私ってそうなんだ」
と納得させられている感覚。
そんな薄っぺらい感覚が心の中に広がる。

そんな失意の中、ようやく納得のいく
エビデンスが載ったソースを見つける。
「お口の恋人」でお馴染み、ロッテの
「噛むこと研究室」というサイトの
「咀嚼とストレス解消のメカニズム」
という記事によると、噛むことで
偏桃体の活動が低下し、「不快」という
信号が脳に送られにくくなり、血中の
ストレス物質の量が低下するのだそうだ。
また、注意力や集中力をつかさどる前頭葉は、
加齢やストレスにより血流がだんだん低下
していくが、噛むことで刺激が脳の中心
近くにある「海馬」という部分を活性化し、
それが前頭葉にも伝わり、血流量を
増やすというのだ。

私なりに要約すると、結局「飴を噛む」
「硬いものを食べたくなる」という行為は
ストレスもそうだが、前頭葉が腐ったおぢさんには
その傾向が強く出るということなのだろう。

このコラムを書き始めてから
チョクチョクぶち当たる
「前頭葉の腐ったおぢさん」というワード。

私の年齢になると、もはや逃げることの
できないワードなのだろう。
普段の生活から「噛むこと」を意識的に
行うだけでも、ストレス軽減につながり、
脳の血流量が増加して、前頭葉が腐るのも
少し遅くできるようだ。

何かとストレスの多い、この現代社会を
生き抜くためにも、まずは噛むことを意識し、
メジャーリーガーのようにガムをクチャクチャと
食べてやると思うと同時に、固いものばかりでなく
たまには柔らかいものを甘噛みしてやろうかと
前頭葉の腐ったおぢさんは思うのである。

(2022.06.24:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。


第19話:コラムを書いているおぢさんは小説も書いてみようと思う

このコラムを寄稿させていただいているイロドリプラスさんに「にいがたショートストーリープロジェクト」という事業がある。
簡単に説明すると、新潟にまつわる内容で400~2000文字以内の小説を募集し、優秀な作品は書籍になるという内容だ。

このプロジェクトを知った時は、「すげぇ事やっているなー」と完全なる傍観者であったが最近ふと思った。

「あれ?そういえば、2000文字書いているな。コラムで。私」

そうだ。内容の善し悪しは一先ず置いておいて「2000文字の文章を書く」というスキルは持っているようだ。
すぐさま、脳内で自分会議が行われる。

「いやいや、言うても、あなたの書いている物はコラムですやん。小説言うたら創作ですよ?」
「いやいや、あなた新潟劇王出てますやん。シナリオって創作ですよね」
モノの数分で結論が出る。

「小説、書いてみようかしら。私」

そうなると得意の「やりたがりの血」が騒ぐ。
ひとまず、募集要項を確認する。

「条件は一つ。作品に”新潟のエッセンス”を加えること。舞台が新潟。新潟出身の主人公。新潟の名物や名産を盛り込むなど、ちょっとでいいので”新潟のエッセンス”を入れてください」とある。

「ちょっとでいいんかい!」
と軽く突っ込みを入れる。
どの程度の”新潟のエッセンス”を入れるべきか。
その判断で物語のコンセプトが変わる。

どうしたものか。

曖昧なものほど判断が難しい。
なぜなら私は、いい加減なようで細かく、細かいようでいい加減な「面倒臭いおぢさん」なのだ。

ひとまず、参考に過去の作品を拝読させていただく。
物語は多種に富んでおり、恋愛ものや青春もの、普段の何気ない日常などから、SFのような作者が好きなように”にいがた”を綴っている。

なるほど。それでいいのだな。
それこそ正解など無い。
各々が思い描く”にいがた”を綴れば良いのだ。

しかも、このプロジェクト、1人が何作品も応募できるではないか。
非常に気持ちが楽になる。
試しに一つ書いてみよう。

とりあえず、初めて書く小説だし、がっつり”にいがた”を題材にしよう。

頭に浮かぶ新潟の名所、物産。
様々な”にいがた”からチョイスし、とりあえず、細かいことは考えず、ペンを走らせてみる。どのような着地点になるのかは自分でも解らない。

書いてみると2000文字というものはあっという間だ。むしろ、足りない。
決められた文字数の中で自分の思いを伝える。
「ここは説明しないと解りづらい」
「ここは読者にイメージさせたい」
まるで、一丁前の作家さんではないか。
文章を書いては消し、消しては書き。
同じところを行ったり来たりしている。

なんとか自分の中でひとまず出来上がる。
では応募するか?
いや待て。
とりあえずは添削してもらいたい。
そうだ。私の所属するニイガタ工務店には演劇のプロがいるではないか。
演劇のプロは私が傷つかないように忖度しながら、アドバイスをくれる。
さすが、演劇のプロ。
そして、私を扱うプロである。

頂いたアドバイスを参考に自分なりに書きなおす。もはや最初に書き上げたものから半分以上は変わっている。

なんだかんだ、思考を重ね、自分なりに納得のいくものができる。

それにしても、創作のモノを書くというのは面白い。
文章を書くということはコラムと一緒だが、実際のものと創作のものでは、頭の使う部分が、やや違うように感じた。
普段、モノづくりを生業としているが、このように言葉を使ったモノづくりというのも性に合っているのかもしれない。
後は、私の作ったものが、どれだけの人に受け入れてもらえるかということだ。
そこが一番難しい。

「小説書いてみたけど、どう?」
と色々な人から意見を頂戴しようとそれなりに見せてみたが、帰ってくる言葉というと、
「面白い」という言葉よりも
「あなたらしい」という言葉が返ってくる。

所詮、素人が描いた作品。
面白いか面白くないかで聞かれると、「面白い」という程度の作品なのだろう。
しかし、そんな作品でも「自分らしさ」というものが隠しきれずに溢れ出ているということは、自分の中でもそれなりに評価できる。
何であれ、クリエイターと謳っているのであれば自分の世界観が何よりも重要になる。
そんな自分の世界観を出せるように、もう2、3作品書いてみようかなと思う。

ちなみに、「できることなら書籍に乗りたい」と選考委員の方に遠まわし懇願したが、
「審査があるからね」とやんわり断られた。
「さすが、選考委員会はシッカリしているぜ!」
と、にいがたショートストーリープロジェクトの誠実さと不正の無いことを立証しつつ、次回作の構想をするのである。

(2022.06.10:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。


第18話:どうやら、おぢさんは「連想記憶の能力」がフィーバーしているらしい。

先日、何気なく見たテレビCMで
「金田一少年の事件簿」が現在も
ドラマでやっていることを知った。
金田一少年の事件簿といえば、
おぢさんが高校生ぐらいの時に
連載していた漫画で、そのような
コンテンツが復刻しているのだなぁと眉を細める。

「じっちゃんの名にかけて!」
というのが主人公、金田一はじめの
決め台詞なのだが、当時のおぢさんは
お箸が転んでも興奮する世代。
高校生のおぢさんは「じっちゃんのナニかけて」
という部分で、得も言えぬ興奮を
味わっていたのは遠い過去の話だ。

このような因んだ感じというか、
名前というか、最近やたらと思いつく。
例えば、先日おぢさんが所属する
ニイガタ工務店のYouTubeチャンネル
「おぢさんラヂオ」でも語ったのだが、
三遊亭好楽が笑点でピンクの着物を着ている。
「ピンクの着物の好楽さん」と考えた時に、
「ピンクの薬コーラック」を思いつき、
「もしかしたら、あの商品名は、ピンクの
着物の好楽から来ているでは。」と想いを馳せる。
現に「消臭力」という消臭剤のネーミングは
エステーの社長が「長州力」から取ったという
有名なエピソードもあるので、
あながち間違いではないのかもしれない。

このような発想が出てくるのは、おぢさんが若い頃、
ヒップホッパーでガンガンに韻を踏んでいたことが
関係しているかと思っていたのだが、
色々と調べてみると、どうやら違うみたいだ。

中高年男性になると、脳の働きにある
特徴が生まれるそうだ。
1つの記憶から他の記憶を思い出すことを
「連想記憶」というそうなのだが、
この能力は年齢を重ねるほど上昇する。
ある実験だと、連想記憶に関する脳の発達は
30代からあがり、50代でピークを迎えるらしい。
しかも、この連想記憶に関する働きをする脳の
「側頭連合野」という部分は、50代くらいまで
機能が右肩上がりに活発で、頂点を境に急に機能が
低下していくそうである。

つまり、このような発想が次々と思いつくというのは、
私がおぢさんになってから身に付いた能力、ヒロアカ風に
言うと「おぢさんになってから目覚めた個性」であり、
今もっとも脂が乗り切った状態なのだといえる。

しかし、連想記憶の能力が上がっていく一方で、
おぢさんの脳では別のことも起こっている。
感情をコントロールする「前頭葉」。こちらが
加齢と共に萎縮してきているのだ。

脳科学的に説明をするならば、
前頭葉の委縮から始まる「脳の暴走」が
止められないことと、「連想記憶の能力が
上がっている」ため、いわゆる「おやじギャグ」を
まき散らす状態が生まれるそうなのだ。
何かと話題になったおぢさんが独特のテンションで
若い女性に口説き文句をまくしたてる
「おぢさんからのメール」や「おぢさんLINE」も、
側頭連合野の活発さと前頭葉の委縮が原因にするものであろう。

しかし、言いたいことを言えないこんな世の中じゃポイズンだ。

おぢさん人生の名著「嫌われる勇気」の中に
「他者からの評価ばかりを気にしていると、
終的には他者の人生を生きることになります」
という一節がある。人から嫌われることを恐れ、
他人の目を気にしてばかりの人生を歩むのであれば、
たとえ人から嫌われることがあろうとも言いたいことが
言える、そんな俺は俺をだますことなく生きていく
ウォウウォウの方が豊かな人生だと考える。

「言いたいことを言う」とうことと
「ユーモアのセンス」は全く別物だ。
要は、「さむいおやじギャグ」でなく
「面白いオヤジギャグ」が思いつく感性を
磨けば良いのだ。また無駄に消費するのでなく、
見せ方により「高度なおやじギャグ」として
昇華させるテクニックを磨くことも可能なのかもしれない。

テレビCMなどで良く見る「小林製薬」商品は、
いわゆる「おやじギャグ」のような商品名が目につく。
例えば、さかむけを固める「サカムケア」、
内臓脂肪を減少させる「ナイシトール」など、
一度聞けば覚えられるような商品ばかりだ。
このようなユニークなネーミングセンスは、
確かにふざけたネーミングだが秀逸だ。
名前を聞いたら絶対に忘れない。「さかむけを治したい」
「内臓脂肪を落としたい」と思うと、思い浮かぶのは
小林製薬の商品だ。もしかしたら、高度な戦略に基づいた
ネーミングなのかもしれない。

現在、おぢさんは「連想記憶の能力」がフィーバーして
様々な発想が思い浮かぶ反面、前頭葉が腐り、
思ったことを口に出してしまう「暴走モード突入中」という
自分も人も傷つける諸刃の剣状態だ。

しかも、「連想記憶の能力」による閃きは「おぢさん」が
「おぢいさん」になると無くなる能力だ。そうなると
腐った前頭葉により、思ったことを口に出してしまうという、
「ただの老害」だけが残ってしまう。

いくら、おぢさんが「嫌われる勇気」をもっているとて、
決して「嫌われたい」と思っている訳ではない。
今のうちにピークの発想力でユーモアを磨き、
理性が効くうちに嫌われるのではなく、
温かい目で見守ってもらえるような人間性を
磨く活動をしていかなげばならないと
おぢさんはシミジミと思うのだ。

(2022.05.27:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。


第17話:悪ふざけおぢさんたちは懲りもせず今年も新潟劇王に参加をする

今年で二回目となる新潟劇王。
私が所属するユニット「ニイガタ工務店」として昨年に引き続き今年も参加させていただいた。

さて、まずは私なりに演劇というジャンルをどこまでが演劇なのかを考える。
ウィキペディアによると、「演劇とは、観客に対し、俳優が舞台上で身振りや台詞などによって、物語や人物などを形象化し、演じて見せる芸術のこと。
俳優が観客を前にして、舞台上で思想や感情などを表現し伝達しようとする一連の行為であり、それらを鑑賞する目的もある。」とある。
つまり、お客さんに対して日常でない自分を表現するのであれば、演劇というジャンルとして捉えられる。そう考えた。
もしも、「そんなものは演劇じゃない」と否定されたとしても、「それはあなたの感想ですよね?」と西村ひろゆき氏のように跳ね返せる自信もある。

演劇とは芸術。芸術とは自由でなければならないのだ。

さて、第二回目となる新潟劇王。
総勢15団体。昨年の9団体から大幅に増えている。しかも県外勢多数。
周りを見渡すと県内外で活躍する猛者ぞろい。
その中に異色の「悪ふざけおぢさん」がいるという何とも痺れる状況。

出演するメンバーと言えば、昨年から引き続き、「一切セリフはしゃべりません」とか「セリフを覚える気はありますが、たぶん無理ですね」など、「あなたの道楽に付き合ってあげます」という当事者意識の欠けた強者達だ。
しかも食材で例えると、恐ろしいほどクセとエグ味をもつ「珍味」の部類。
この食材の調理方法は限られている。しかし、昨年と同じものを出す訳にはいかない。
では、この状況下で私たちのような演劇の素人が格式のある大会に参加する意義とは何か?

昨年参加をして、私個人としても、団体としても、クリエイター集団「ニイガタ工務店」としても、活動の幅が広がったことは事実である。
始めてのシナリオ、それを演出するという行為。そのような経験が、後にコラムを書くスキルであったり、「おばけ屋敷」や「謎解きゲーム」などのイベントを自ら企画し、行うことができるようになった一つの要因である。
PDCAサイクルとして置き換えるのであれば、
第1回新潟劇王で初めてのシナリオ作成→プラン(計画)
第1回新潟劇王で初めての演劇→DO(実行)
インプットしたものを1年間アウトプット→チェック(評価)
と考えるのであれば、
今年はアクション(改善)
として第二回新潟劇王に参加することはPDCAを完成させるためにも必然なのである。

昨年の戦術として、「同じ土俵で戦わない」というものがあった。
では、今年参加するに意味合いを考えるのであれば、昨年のように違う土俵で戦うのではなく、「素人なりに同じ土俵で戦った場合どうなるのか」という、私たちが、今どのような立ち位置にいるのかという検証を行う必要がある。

そんなことを考えながら、シナリオができる。
なかなかニッチでシュールなものがけたと思いつつ、裏で照明やら音などをするオペレーターが足らないことに気づく。
「やべえな。」そう思いながらも、音の演出を無くし、ライトの演出をON、OFFだけの簡単なものにすれば大丈夫だろう。と演出方法を最大限までそぎ落とし、シンプルなものにする。
ON、OFFだけならば会場の照明さんにお願いできるであろう。

しかし、人生というものは中々うまくは行かない。

本番二日前の舞台リハ。問題は山積みだ。
まず、「音、照明は参加団体の方でお願いします」と断られる。
やべえ、人が足りねぇ。本番まで時間がない。
とりあえず、「ミスター男気」である友人に頼み込む。
「ミスター男気」は「OK、何とかする」と快諾。
さすが。持つべきものは友。

舞台でセリフを読むメンバーの一人は、舞台でボソボソしゃべる。
「もう少し声をはれる?」と指示を出すと、「これ以上は出せねっす」とやけに反抗的だ。
しかも「ここは僕のやりたいようにやらせてもらう感じで良いですかね?」
と、まるでベテラン俳優のような返し。この男の肝っ玉には感心する。
「これ以上声をはると軍隊みたいな話方でしか、しゃべれませんよ?」
と圧を掛けてくるメンバーに対し、「それはあなたのさじ加減ですよね?」と返したいのをグッと飲み込み、「OK。軍隊のような演出で行こう」と指示をする。
これは、JAZZのセッションと一緒だ。「私の書いたシナリオ」という枠組みの中で自由に演じてもらおう。

そんなこんなで本番当日。
抽選の結果私たちがトップバッター。
よっしゃ。会場を暖めるのは俺たちだ!

結果は、ぶっちぎりの最下位。

それはもう、清々しいくらい。
まあ、想定通りだ。演劇のプロ達がひしめく中、同じ土俵で戦えばこうなることは必然である。

しかし、演劇界は優しい。
悪ふざけおぢさん達がワチャワチャやっているものにもキチンと良い部分を見つけていただき、褒めてくれる。
会場でも笑ってくれる方もいたし、SNSで褒めてくださる方もいる。

2年計画であった新潟劇王という私のPDCAは一旦終了となる。
次の計画、実行、評価、改善がどうなるのかは分からないが、これからも面白いことを考えて実行していこうと
悪ふざけおぢさんは思うのである。

ちなみに、当日わざわざ会場で観劇してくださった、
イロドリプラスさんからは「想像の斜め上を行くシュールさに会場内は独特な雰囲気に包まれておりました。」とコメントをいただいた。

観劇に来てくださったことを感謝するとともに良い意味として受け取りたい。

(2022.05.13:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。


第16話:「オムレツ」と「玉子焼き」の違いが何なのか。気になるおぢさんは野暮というものである。

先日、妻が見ていたテレビ番組に何気なく目をやる。
内容は「オムレツ」と「玉子焼き」を何品か作るという番組内容。

MCとして林家三平、ゲストにIKKOとミキティーが出ており、なかなかトリッキーな組み合わせだなぁと、思いながらも、ついつい見入ってしまう。

笑点を降板してから久しぶりに見る林家三平の姿を妻と二人で「元気そうで何より」と安堵する反面、林家三平の風体に少し心配になる。
言葉を選ぶと、笑点の時よりも、ふくよか。
ゲストが美白のIKKOとミキティーということもあるのか、肌がくすんでいる様にも見える。
そのような内容を夫婦の間柄ということもあり、実際にはスラング気味に意見交換を行う。

次に議題にあがった内容は「世間では、なぜ玉子焼きをそんなにも好きなのか?」という内容。
基本的に私は、玉子焼きを「好き」か「嫌い」で問われるのであれば、「どちらでもない」と答えてしまうほど、ニュートラルど真ん中な食べ物だ。なので、ごはん屋さんや居酒屋さんでも、自ら進んで注文をすることは無いし、あれば食べるという程度のものなので、まったくの思い入れが無いのだが、世間では「玉子焼き、甘い派?しょっぱい派?どっち?」と派閥ができるほど、関心のある食べ物だ。

「なぜ、皆そんなに玉子焼き、玉子焼きと言うのかねぇ」という私の質問に対し、
「定番だからじゃねぇの?」と妻の回答。
なるほど、答弁として内容はふわっとしているが納得は出来る。
ソースは無いが、「定番」というエビデンスは取れている。
さすが、作る側の視点。言葉に説得力がある。
そんな質疑応答の後、妻も私も
「玉子焼きはニュートラルな食べ物」という立場を確認し、
「食べるのであれば、おろし大根と醤油は必要」という妻と
「どちらかというと玉子焼き自体には味は要らないが醤油はかけたい」という私との間で合意形成がなされた。

そして本日、私が一番気になっていた話題へと切り込む。
そう、この番組では「オムレツ」と「玉子焼き」を作っており、ずっと気になっていた「オムレツと玉子焼きの
違いとは何か?」という疑問である。

間髪入れずに妻からは、「玉子を巻くか巻かないかじゃねぇの?」という回答が来たが、先ほどの回答とは違い、
今回は腑に落ちない。
何故ならば、今回の回答は妻の想像であり、ソースもエビデンスも無いのだ。

そんな私を「面倒臭い男」と蔑んだ視線で「わからない」という回答とともに、その日の議論は終了する。

そうなると私のモヤモヤが止まらない。
とりあえず、「オムレツと玉子焼きの違い」と検索をする。
すると約20万件もヒットする。
流石はインターネット。私程度の男が考える疑問など、インターネット上にすべて載っているのだ。
とりあえず、YAHOO!知恵袋に目をやる。
ベストアンサーを要約すると、「調理法が違う。」「洋風と和風」「玉子焼きは巻く、オムレツは包む」
ということという内容に「なるほど!」と納得する反面、自分の言葉に対する読解力の無さに少し落ち込む。

そう、私は「玉子焼き」という言葉を安直に受け取り、「玉子を焼いたものが玉子焼き」という額面通りにしか言葉を受け取ることができなかったのである。

野球で例えるならば、「セリーグ」と「パリーグ」の違いを聞くのではなく、「ベースボール」と「野球」の違いを訪ねるという野暮なことをしていたのである。

振り返ると、年々歳を重ねる毎に自分に対して「野暮だなぁ」と感じることが多々ある。
そんな、小さな野暮の積み重なりが「面倒臭おぢさん」として私が女性から「モテない」理由なのではないか。
もっと考え方をやわらかく、多様性を持ち、思ったことを一旦自分の中で消化する。
それが「粋なモテおぢさん」としての第一歩となる鍵なのではないか。

そんな一途の光を見出し
「粋なモテおぢさん」を目指す第一歩として、
「出し巻き玉子も玉子焼きでしょ?」
という自分本位な考え方に蓋をすることにした。

そして、更なる心の奥から湧き出る野暮な疑問。
「玉子と卵の違い」に対し、誰にも尋ねることなく独り静かに検索をするのである。

ちなみに「玉子と卵の違い」とは、ソース元として、ウーマンエキサイトのE・レシピ【「卵」と「玉子」の違いあなたは分かる?疑問を解決して正しく使おう!】の記事によると、生の状態が「卵」、調理後が「玉子」として使い分けられているとのこと。

なるほど。そうするとネット記事の中でも、「玉子と卵」が使い分けていないものが散見するなぁ。
と気になりムズムズする。

野暮な「面倒臭おぢさん」が「粋なモテおぢさん」になる道は果てしなく遠い。

(2022.04.22:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。