第6話:おぢさんは昔、営業電話を楽しむこころを持っていたことを思い出す

昔ほどではないが、今でも「テレアポ」と言われる電話営業が良く来る。

「テレアポ」と言えば、おぢさんが若かりし頃はすさまじかった。
コンプライアンスがゆるい時代だったのもあるが、今となっては違法行為である
「社名を名乗らない」
「威圧的な態度」
「断っても何度も掛けてくる」
などは当たり前のようにされていた。

当時は家の電話に「○○と言いますが、龍一さんはいらっしゃいますか?」と知り合いを装い、電話を替わると営業であったなんてことは日常茶飯事であった。

当時の私は、そのような電話営業に
「もう少し詳しく聞いても良いですか?」
「それはすごいですね」
「メッチャ良いじゃないですか!」と
いかにも興味があるような素振りを見せ、最終的には買わないという娯楽を楽しんでいた。

向こうはカモが飛びついてきたと意気揚揚と説明し、先ほどまで、まるで苦楽を共にした親友のような話し方をしていたのに態度を一変させ、今度は別れ話を切り出された未練タラタラの恋人のように食い下がり、なぜ買わないのかを問い詰めてくる。
「そもそも、あなたの説明だけで今すぐ契約しろとか無理な話だと思いませんか?」
という問いに対しても
「他の人たちは皆さんされてますよ?あなただけですよ?」と罵られ、
「じゃあ、そちらに行けば良いんですか?」と半ギレでアポイントを取ろうとしてくるのを「来ても良いけど、一度検討するから、その場では契約しないし、契約するとしても、お前からは絶対に買わない。」という私の説明に対し、「話にならない」「時間を無駄にした」と捨て台詞を吐きながら一方的に電話を切られた後、「やはり納得いかない」と掛け直してきた電話に「なぜ営業を掛けてきたお前を俺が納得させなけりゃならんのだ?」いう火に油を注ぐ発言をし、何時間にもわたるディべートを楽しむという、なんとも歪んだ青春時代を送っていた。

何も頭ごなしに否定だけをする訳でもない。
「テレアポ」の方から「説明したいのでお会いできませんか?」という問いかけに応じることもある。

社名を名乗らない女性からの営業電話。
女性からの電話となると、こちらも一層テンションが上がる。
なんでも、当時流行したヒロ・ヤマガタやラッセンなどの展示販売を行っているとのこと。

一旦、待ち合わせをしてそれから販売会場へ向かうという。
待ち合わせをするに際し、「芸能人に例えると誰に似ている?」という私の問いに対し、当時グラビアアイドルをしていた「雛形あきこ」と答える女性。
それは行かなくてはならない。何としてでも。

しかし、待ち合わせ場所にいた女性は「雛形あきこ」とは程遠い。
とりあえず、「自称雛形あきこ」とお茶をしながら談笑。
その後、販売会場にて絵の説明を受けながら、
「ねぇ、この絵とこの絵、どっちが好き?」と「自称雛形あきこ」とイチャイチャしながら、まるで美術館デートをするカップルのようなプレーを楽しみながら、ひと時を過ごす。
「自称雛形あきこ」は要所要所で「ちょっとごめんね。」と席を外す。
きっと上司に進捗を報告に行っているのだろう。
展示会場のラストにはパーテーションで区切られた小部屋に通される。
そこで「自称雛形あきこ」と商談が始まるのだ。

もちろん私は買わないと心に決めている。
「自称雛形あきこ」は絵の素晴らしさと価格がいかに妥当なものかを説明し、何なら、今後その絵の価値が上がるだろうという話をしてくる。

「そもそも原画じゃなくてリトグラフだよね? リトグラフであれば高く感じるし、今後価値がそれほど上がるとも思えない」と頑な私に対し、私が人生で、いかに無駄遣いをしているかというシュミレーションを行い、
「こんなに無駄なお金を使っているぐらいなら、そのお金でこの絵を買った方が全然良い」と「自称雛形あきこ」は私の人生設計をしてくれる。
「あなたには無駄に感じる行いも私にとっては大切な行為です。」と価値観の違いについて昏々とやり取りを行った結果、「もういいよ」と「自称雛形あきこ」から突然の別れを切り出される。
「ありがとう。楽しかったよ」と彼氏ぶる私に対して「私は全然楽しくなかった」と彼女。
さすが女性は常に前を向いている。そんな彼女を遠目で見ながら
「次はいい男を見つけろよ」と、その場を後にする。なんと淡い思い出だろうか。

最近来る「テレアポ」に対し、少しイラッとしながら「結構です」と電話を切るたび、なぜあの頃はあんなにも寛大に「テレアポ」とのひと時を楽しんだのだろうか?と立ち止まって考えることがある。
よっぽど暇だったのか、それとも私が大人になったからなのか。
コンプライアンスが厳しい昨今、そのような人間味の溢れる電話営業は二度とないのだろう。

最近すぐにイライラする更年期気味のおぢさんは、昔を思い出しながらもう少し寛容な心でいなければならないと少し反省するのである。

(2022.02.10:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。


第5話:地域活動を行うおぢさんは日本のこころを大切にしながら多様性を楽しむ

過去のコラムではおぢさんの日々の徒然を垂れ流してきた。

最近気づいたのだが、私のコラムは「地域活動」の分類にはいっているようだ。
地域活動と言っても、ただ「ボランティア」を行っているわけではない。

プロフィールにも書かせていただいているが、私は「働くということは社会に貢献すること」を信条としている。
地域が良くなれば自分の仕事にも帰ってくるという考えからなる

言わば、「未来への投資」なのだ。

地域に根付いた活動に携わっているからか、様々な年代、職種の方々との交流があり、いつも新鮮な刺激を味わえているのは冥利に尽きる。
同じチームで同じゴールを目指す仲間。
そこに年齢の壁はない。

ただ、どうしても崩せない壁がある。そう、世代の壁だ。
普段は何気ない話で盛り上がっているのに、世代の話になった途端、言い知れぬ孤独と疎外感を感じてしまうのだ。

私たち日本人にはDNAの様に宿る国民性「日本のこころ」というものがある。
「日本のこころ」は私たち日本人の誇るべき精神文化でもあり、それを自らの強い力とし、その意識と行動をもって、私たちは夢と希望に満ち溢れた未来を創造していると言っても過言ではない。

その誇るべき精神性への自負こそが確かな当事者意識と自律心を生み、様々な問題解決へと繋げていくのだ。
私たち日本人に古来より脈々流れ、育んできた「日本のこころ」の三原則

それは「友情・努力・勝利」なのである。

世代が変わればカルチャーが変わる。
現代の日本人に宿る「日本のこころ」の三原則「友情・努力・勝利」は
キン肉マン、聖闘士聖矢、北斗の拳などではなく、
ヒロアカ、ハイキュー、呪術廻戦などなのだ。

「ジョジョの奇妙な冒険」の話題で「波紋」の話をしても
「ジョジョってスタンドの話じゃないのですか?」とあしらわれ、男らしいキャラクターが好きだという話で「男塾」の剣桃太郎や伊達臣人の話などは論外。

「聖闘士聖矢」でドラゴン紫龍の尊さやフェニックス一輝の強さを熱弁したとて、もはや存在すら認識してもらえない。

「ビックリマンチョコ」や「キン消し」の話をしても全く通じないのである。
しかし、このような世代間のギャップがたまらなく面白い。
「面白さ」というものは常にイレギュラーの中から生まれる。
様々な地域活動をするにあたって、ダイバーシティという取り組みは大切となる。
ダイバーシティとは「多様性」のことだ。年齢、性別、国籍等にかかわらず、「多様性」を受け入れてこそイノベーションを興すことができる。

だとすれば、ジェネレーションやカルチャーのギャップは「イノベーションの源泉」であると言い換えることができるのではないだろうか。
多様性を受け入れるということは、お互いの違いや、考え方を認識することなのだ。
そのような関係性が世代間の「断絶」ではなく、「ポジティブな人間関係」と「学び」を与えてくれるのだ。

おかげ様で世代間を超えた友情と刺激をもらいながら、日々楽しく過ごさせていただいている。
その様な関係性の中、「あ、上野さんってそんなに年上だったんですね」と、それなりに若くとらえてもらえたり、年齢の話をすると「全然見えないですね。」と言っていただけることもしばしばある。

そういう時は「そんなことないですよぅ。」と謙遜しつつ、ニマニマしているのだが、
「いや、ちゃんと順調に老けているから、あんまり調子に乗るなよ。」と
ありがたいことに妻がいつも、たしなめてくれる。
確かに体力は衰え、髪の毛も薄くなってきたし、髪以外の全身に白髪も出てきた。
「人生50年」と謳われていた時代であれば、そろそろお迎えがいつ来てもおかしくない年頃であり、もはや、「おぢさん」ではなく「おぢいさん」なのだ。

「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくる波紋とは独特の呼吸法であり、その呼吸法により生命エネルギーを活性化させることから、老化を遅らせることができるらしい。
30年以上たった今も密かに私は、波紋の呼吸法の研究をしている。

習得するには、まだまだ時間が掛かりそうだが、様々な刺激を頂きながら、私という「人間賛歌」をこれからも楽しんで行きたい。

(2022.02.04:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。


第4話:新潟に住むおぢさん達は新潟劇王に参加していたらしい

先日、一通のLINEが届いた。内容はこうだ。
「第二回新潟劇王によろしかったら再チャレンジしませんか?」

昨年の話だが、
2021年より新潟劇王という短編劇のコンテストが始まりエントリー団体を探しているという話をひょんなことから耳にした。
やはり、コロナ禍ということもあり、出場者集めも難しいのだろう。
そう思った。
ここで私の悪い癖がでる。
そう、私は「やりたがり」なのだ。

「ヤバい、すげぇ面白そうだ。」

今回が第一回目。
「第一回新潟劇王」ということは「初代劇王」ということだ。
なんて甘美な響きであろうか。
そんな不純な目的で、まるで光に群がる羽虫のごとく、ふらふらと近寄る。
そんな勢いと欲望により、私が活動しているユニット「ニイガタ工務店」で参加することになった。
ちなみに「ニイガタ工務店」というユニットは「新潟を創るのは俺たちだ!」という想いで仲間たちが集まって作ったクリエイティブ集団である。

さて、エントリーをしたのは良いが私は演劇をやったことがない。
演劇という世界のルールというか、型枠がまったく分らないのだ。
勢いでエントリーをしてしまったがどうする?
しかも、一緒に出ようと誘ったメンバーからは、

「セリフが無ければいいですよ。」

という無理難題を課せられている。

やったことのない演劇、しゃべらない演者。
はたしてこれで演劇ができるのだろうか?
すべてがイレギュラーなのだ。
しかし、私も40後半のおぢさん。ここは経験がものをいう。
心身ともに追い込まれ、ご飯を食べても味がせず、まるで砂利を喰っているような経験。

そのような血ヘドを吐いた経験があるおぢさんには、多少のイレギュラーは「面白い」に脳内で変換されてしまうのだ。

そういえば、お笑い芸人のハライチ岩井氏が、
「俺たちは早く売れたいから王道の漫才をやらないで自分たちのシステム漫才を作った」
と言っていた。まさにその通りだ。

私たち素人が、王道の劇団に勝つためには、亜種で飛びきりに尖った「俺たちだけの演劇」をやるしかないのだ。

どうせやるのならば、本気の全力で悪ふざけをしようぜ!
という訳で初めて作るシナリオ、初めての演出をゴリゴリに尖らせまくる。
演劇とは芸術だ。それは自由であり、時には受け入れられないこともある。
ただ、必要なことは「楽しむ」ことだと考える。

時には難解に思うこともあるだろう。
だが、それすら楽しんでもらいたい。
勝手ながら、私の中で演劇をそのように定義づける。

定義はできた。次はシナリオと演出だ。
私たちの演目を例えるならば、鋭利に尖らせた鉛筆の芯。
鋭利に尖っているので触るものを傷つける恐れはあるが、もろく、はかない。
ぜひ、鋭さを怖がるのではなく、楽しんでいただきたい。

そんな、様々な布石を打ちつつ、本番が始まる。

順番は
1.ガチムチの劇団。
2. i-MEDIAで学ぶスターの卵。
3.私たち悪ふざけおぢさん。

場所は新潟演劇の聖地、りゅーとぴあ。
さぁ、ここからが俺たちのステージだ!
やっていることは亜種のくせに、王道の死亡フラグが頭の中を駆け巡る。

結果は惨敗。
芸術というものは、いつの世も受け入れられないものである。

演劇発表後、代表者がステージ上に集められ審査員から総括を頂く。
一人の審査員からは「演劇をバカにしている」と激怒される。

無理もない。
自分たちが本気で取り組んでいる舞台上でおぢさん達が悪ふざけをしているのだから。

しかし、もう一人の審査員からはベタ褒めされる。
「このシナリオを作った方は頭がおかしい。しかし、演劇とはこうでなければ面白くない。そういう面では、ずば抜けている。この演劇は東京などでやるべきだ」と。

審査員票を見ると本日の最高得点と最低得点を叩き出している。
審査員票だけでいえば、ガチムチの劇団に勝っているのである。
ステージ上で40歳を過ぎたおぢさんがガチで怒られたり、ベタ褒めされたり。
物事というのは振り幅が大きければ大きいほど面白い。
ある意味、私の狙いは成功したのである。

終了後に審査員の皆さんが楽屋にきてくださった。
なんでも出場団体の中で一番にご挨拶にきたとのこと。
「会いたかった!楽屋挨拶に一番にきた意味、分りますよね?」
ステージ上で私に激怒した方も笑顔で話しかけてくれる。
なによ。そのツンデレ。好きになっちゃうじゃん。

もちろん、言いたいことは分かっている。
こちらがいくら本気とはいえ、所詮は悪ふざけ。
型破りなことをする。
それをしても良いのは型を持っている人だけなのだ。

私たちには何の型すらない。
「型無し」なのだ。
これは、私たちのセンスに共感していただいたエールなのだ。
私はそう捉えた。

今回、お誘い頂いた一通のLINEを見返し、そんな昨年の情景を思い出した。

「型無し」の私たちだが演劇界から拒絶されたわけではないらしい。
しかし、あのインパクトは初回だから出せたのではないか?

さてさて。今年はどうしたものか?

そんなことを考えている私のワクワクはすでに先走りをしている。

(2022.01.28:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。


第3話:おぢさんはハチに刺された時はとりあえず病院に連絡した方が良いと学ぶ

自分の洗濯物は自分で洗う。

なぜならば私と奥さんの「洗い方の好み」が間逆だからである。

私は洗剤にしろ、柔軟剤にしろ、たっぷり入れるのに対し、奥さんは洗剤少なめ、柔軟剤はむしろ使わない。

柔軟剤を入れると汗等の水分を吸着する力が減るそうだ。

しかし、そうなると、私的に衣服やタオルのゴワゴワ感が気に入らない。

何よりも「汗をかいても臭いをブロック!」と謳われている昨今の柔軟剤を使わないと50代目前のおぢさんの体臭がヤバいことになる。

半日も経たないうちに体内に柴犬でも飼っているのか?
それとも私はソラマメが生まれ変わった妖精なのか?
と思うような豊潤な臭いを周囲にまき散らすことになってしまう。

それならば、自分の物は自分でやりますわ。ということである。

洗濯物を干す時も私はハンガーにかけて干すという、チョットしたこだわりをもっている。

そうすることによって、たたむという手間を省くのと、たたんだ時にできるシワを防ぎ、そのまま仕舞えるので、とても合理的な手法であると自負している。

さて、話を本題に戻す。
先日の朝、仕事へ向かうための支度をしていた。
いつも通り、ハンガーから作業着を取り出し着替える。
何気ない、いつものルーティーンだが、その日は違った。
作業着に袖を通した時、手首に「チクッ」と何かが刺さった。

痛みにも様々ある。擦り傷の痛み。刃物などで切った痛み。針などが刺さった痛み。
その時の痛みは明らかに「何か細い針のようなものが刺さった痛み」であった。

仕事がら、作業時の金属片が衣類に付着していたかな?

それとも木くずとかのトゲでも付いていたかな?と思い、作業着をひっくり返し確認すると「親指ぐらいの何か」が落ちてきた。
「親指ぐらいの何か」は黄色と黒の、いかにも「WARNING」という危険色。

「ブッブブッ」と羽音を立てている。

蜂である。

「んひぃぁぁぁぁ!」
声にならないおぢさんの図太い悲鳴。なぜ蜂?冬場に?部屋の中に?しかも服の中に?
なんでなん?どこから入ったん?部屋に巣があるん?他にもおるん?なんなん?

もうパニックである。
朝から50代目前のおぢさんがフガフガ言いながら騒いでいる。
落ち着け。否、落ち着いていられない。
なぜなら私は幼いころに蜂に刺されたことがあるからだ。
蜂は一度刺されると体内に抗体ができ、2回目以降に蜂毒が体内に入ったとき、もともと身体の中に存在する抗体の作用によって、全身症状が引き起こされ死に至ると。
だからお前は蜂に刺されると死ぬよ。と幼いころから親に脅され生きてきた。

ヤバいヤバい!そういえば何か息苦しくなってきた。心臓がバクバクしている。
なんか目の前も霞んで見える気がする。チョット熱っぽくなってきた気もする。
そんなガッつり刺されていないよな?患部を見ると血がプッくり出ている。

ガッつり刺されてますやん。

このまま死ぬのか?俺?とりあえず病院か?
そういえば、蜂毒ってタンパク質だから熱に弱いって誰かが言っていたよな?
患部を炙るか?やだ!怖い!

もはや思考回路がまともではない。一旦落ち着け。
スマホで「ハチにさされた」と検索。私を刺した蜂はアシナガバチのようだ。
蜂毒は反応時間が早く、刺されてから15分ぐらいには症状が出るとのこと。
症状が早くあらわれるほど重症になることが多く、場合によっては
アナフィラキシーショックを起こす。アナフィラキシーの症状が出てから心停止までの時間は15分ぐらいなので速やかな治療が必要とのこと。

刺されてから、かれこれ30分ぐらい経っている。とりあえず死ぬことはなさそうだ。
しかし、油断はできない。容態が急変するかもしれん。とりあえずは速やかに蜂の確保。
何かがあったら、この蜂から抗体を作るのだ!と、何で知ったのか分からない。
小学生のような知識が私を奮い立たせる。

とりあえず蜂を捕獲して保管しなければ。
丸めた雑誌を片手にアシナガバチとの格闘。
冬場ということもあり、動きの悪いアシナガバチを何とか捕獲し、ビニール袋に保管。

奥さんに蜂に刺された旨と一連の流れを報告し、仕事場へ向かう。

その日は一日気が気ではない。患部はプッくりと腫れ、かゆみがある程度。
もう一度蜂に刺された場合の対処をスマホで調べてみる。

蜂に刺された場合、蜂毒にアレルギーがなければ、刺された箇所に軽い痛みやかゆみ、腫れなどが起こり数日程度で消えていくとのこと。とりあえず大丈夫そうだ。

しかしまだ油断はできない。となり合わせの死がいつ訪れるか、わからない。

精神的に疲労困憊の中、その日は早めに帰宅。

「あの蜂どうした?」と私の問いに
「生きていたから潰してゴミに出したよ」と妻の回答。

晩酌に飲んだビールの味はいつもより苦い気がした。

(2022.01.21:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。


第2話:新潟に住むおぢさんは家電を買う時はなるべく早めに済ませたい

レンジが壊れた。正確に言うとオーブンレンジ。

購入してから7~8年と言ったところだろうか。

当時10万円以上する大きめの少し良いレンジを購入した。

昭和生まれの私には「レンジが回らない」というカルチャーショックは例えるなら、アナログ放送から地デジに変わり、ブラウン管のテレビが薄型になった時以上の衝撃だった。

回らないレンジ!スチーム付きオーブンでヘルシー!なんならパンも作れちゃう!

このオーブンレンジがあれば他の調理器具いらず!オーブンレンジ万歳!

と囃し立てられたオーブンレンジ様も年に一度ぐらい娘が友達にクッキーを焼くためのオーブン機能と残った食事を入れておく箱というのが主たる使い道となった。

ちなみに奥さんの家系は、おかず等の残りを戸棚に入れておくという、奥さんが生まれた地方の風習なのか、お家柄なのかは分からないが、そのような仕来たりのようなものがあり、レンジの中に残り物を仕舞うという習慣は現代版のアレンジとなるようだ。

私はその仕来たりがどうも苦手で、私からすると

「食べ物を腐敗させる儀式の祭壇」

にしか思えない。とくに食べ残しとなれば尚更である。

なので、私が自宅でレンジを使う際には一度、何分か熱した状態にして殺菌してから使うという私なりの儀式があった。

「チン」ができなくなったオーブンレンジはただの箱だ。

「食べ物を腐敗させる儀式の祭壇」だけのために存在した。

という訳で新しいレンジを購入することになる。

前回の反省を踏まえ、必要とする機能は大きめ。回らない。シンプル。

できればオーブン機能が付いていれば良い。予算は3万円程度と設定した。

さて、どこの電気屋さんにしようか。現代らしくネットで買いますか?

と家族会議の中、以前洗濯機が壊れた際に購入した電気屋さんが良いと奥さんからの提案がなされた。

なんでも、その電気屋さんで洗濯機を買う際に担当してくれた店員さんがとても親切丁寧に対応してくれて、おまけに一万円分ぐらいポイントがあるそうだ。

他に選択肢はない。その電気屋さんに向かった。

レンジコーナーには様々なレンジが並ぶ。

さて、とりあえず一通り見てみますか。そう思っていた矢先に

「良かったら何でも質問して下さいね。」と

周りの店員さんとユニホームが違う方が話しかけてきた。メーカーの人だろうか?

私も人に自慢できるような風体の人間ではないし、人を見た目で判断はしたくないが、ユニホームが違う。髪の毛ボサボサ。赤ら顔。かなりの太め。ちょっと清潔感を感じない。

その様子のおかしさに、さすがに身構える。

そもそも「良かったら何でも質問して下さいね。」という聞き方がおかしい。主語がない。

じぁあ、何かい?私が「なぜ、そんなに太っているのですか?」と聞いたらあなたは答えるのですか?だって何でも質問しろって言っただろ?そういうことである。

なぜ私がこんなにもイラっとしたのか。

それは私が更年期のおぢさんだからではない。

それもあるかもしれないが、それには訳がある。

私たちに訪ねてきた店員さんに、どのようなレンジを探しているのかは伝えてある。

大きめ。回らない。シンプル。である。

すると、その店員さんは「現在のオーブンレンジは大変進化しておりまして~」と

2~30万するオーブンレンジを紹介し始める。

おいおい、聞いていたか?大きめ。回らない。シンプル。だぞ?

なんで、スマホにアプリを入れて調理をするレンジを勧めているんだ?

ただでさえスマホパンパンなのに?使わないアプリを俺に入れろってか?

内心では罵詈雑言の嵐であったが、私も大人。

良いですか?私たちの求めているレンジは大きめ。回らない。シンプルです。

ただでさえ容量パンパンの私のスマホに、そのようなアプリを入れる余裕はないのです。

と丁重にお断りさせていただいた。

次に話しかけてきた店員さんは、身なりは小ざっぱりしているが少し胡散臭い。

「このオーブンレンジについて教えて欲しいのですが」

こちらの問いに対して、
「お客様、こちらのメーカーは、あのコロナワクチンを保管する冷蔵庫も製造しているメーカーでして~」とメーカーの説明をしてくる。

なんだ?私の日本語がおかしいのか?
メーカーの説明でなく、製品の説明を求めているのだが。
もう一度製品の説明を求める。

ワット数も800Wぐらいある物が欲しいのですが。

なんなら、パンプレットとかないですかね?尋ねる私。

すると親切なその店員さんは
「少々お待ちください」とスマホでその商品のサイトを見始める。

「あ、大丈夫です。これください。」

結局、店員さんに頼ることなくオーブンレンジを購入した。

大きめ。回らない。シンプル。なかなか気に入っている。

残念な点と言えばワット数が200W、500Wと少ないことだ。

私の「食べ物を腐敗させる儀式の祭壇」を殺菌する儀式の時間が少し長くなった。

(2022.01.14:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。


第1話:新潟に住むおぢさんが突然コラムを書くことになった件

ひょんなことからコラムを書かせていただくことになった。

今までSNSではコラムっぽい投稿をしていたわけだが、こうして本格的にご依頼され、コラムを書かせていただくというのは人生初体験である。

新潟イロドリプラスさんで連載されているフリーアナウンサー遠藤洋次郎さんのコラム「ミドリのイロドリ」は毎回楽しく拝見させていただいていた。

ご自身のアナウンサーとしての経験と農業という経験が奏でるマリアージュは芳醇な香りを放ち、さすがアナウンサーさんは違うなぁと毎回楽しみにしていた。

そんな一読者だった私が、まさか同じ土俵に立たせていただくことになるとは。

さて、ご依頼を頂いたのは良いが、
どのようなジャンルの記事が良いのか。

新潟イロドリプラスさんと言えば、地域の魅力を発信するイメージ。

一応、私が文章を書く時は「人に見られる」事を意識しており、いかに見てくれた方が楽しんでくれるかということは考えて投稿させていただいているが、所詮は自分のSNS。

自己満足の世界だし、問題発言があったとて自己責任で済むが、ご依頼となればそうはいかない。

私が普段投稿している「おぢさん」の日々をダラダラと垂れ流しているどうでも良い内容とは訳が違う。

私もそれなりの大人。様々な経験もある。

真面目な内容から不真面目な内容まで、どちらでも対応できる。

「どのようなジャンルのコラムを書けば良いですか?」
と尋ねてみたところ、

「過激な内容で無ければ何でも大丈夫ですよ」
とのこと。

うむ。ふわっとしている。

まず、過激に思うか思わないかは個人の概念ですよね?
と、西村ひろゆき氏のような発言をしそうになったが、そこは大人なのでグッとこらえる。

なるほど、そうか。
今回ご依頼いただいたのは、私が普段SNSで投稿しているおぢさんが日々垂れ流している徒然を期待されているのだ。

そう勝手に解釈させていただいた。

では、一発目のコラムは何にしようか。

真面目な投稿か。それとも不真面目な投稿か。

そもそも読んでいただいている方には
「あなたは誰?」となっているはず。

それならばまず自己紹介か?

悩んだ挙句、「もし私のコラムを一冊の本にするとすれば、まずはまえがきが必要だな」と、とりあえず「まえがき」っぽい感じで書かせていただいた。

今後このコラムがどのような形になって行くのか。

本人もわからないが読んでいただいた方のこころが少しでも彩られるのであればこの上ない喜びである。

(2022.01.07:コラム/上野龍一)


【 上野龍一 】
~プロフィール~

1975年4月28日生まれ
新潟県新潟市出身
「有限会社看板の上野」代表

経営者として人生経験を積む傍ら心理学、コーチング、エゴグラム心理分析などを研究。
自らを実験台に実績を繰り返して企業や学生への講師やコーチング、セミナーなどを開催する「可能性創造研究所」を設立。

また、地域イベントの企画、運営をするユニット「ニイガタ工務店」としても活動中。

「働くということは社会に貢献すること」を信条とし、様々な地域活動や企画運営を行っている。